からっ風野郎
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からっ風野郎
Afraid to Die
監督増村保造
脚本菊島隆三
安藤日出男
製作永田雅一
出演者三島由紀夫
若尾文子 
音楽塚原哲夫
主題歌「からっ風野郎」
作詞・唄:三島由紀夫
作曲・ギター演奏:深沢七郎
編曲:江口浩司
キングレコード
撮影村井博
編集中静達治
配給大映
公開 1960年3月23日
上映時間96分(カラー・大映スコープ
製作国 日本
言語日本語
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ポータル 映画
プロジェクト 映画

『からっ風野郎』(からっかぜやろう)は、1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画監督増村保造。脚本は菊島隆三。製作は大映大映東京撮影所)。作家の三島由紀夫映画俳優として初主演した作品である[1][2][3]。傾きかけた落ち目な組の二代目ヤクザが敵対する組の殺し屋に命を狙われる中、惚れた女の一途な純情にうたれ堅気になろうとした矢先に殺されてしまうという異色のヤクザ映画である[4][3]。公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号11655)の指定を受けた[5][6]

当時、既に高名な作家となっていた三島が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じ、相手役の若尾文子は激しくに生きるヒロインを好演して不慣れな三島をカバーした[7][3]。大映の専属俳優として正式契約し意気込んで華々しく映画デビューした三島だったが、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒット作となったものの俳優演技の難しさを痛感する経験となった[8][3][7]

しかし三島にとってこの苦い経験は、その後の写真集『薔薇刑』の静止被写体に繋がり、『憂国』の自主製作映画化の成功や、準主役で出演した時代劇映画『人斬り』での好演にも繋がっていくことになった[2][7][3][9]

公開時の惹句は、「文壇の寵児三島の情熱か! 映画界の増村の才気が若尾文子と組んで放つ最大の話題作!」[10]、「彼奴を殺ろせ! 出獄を待つ殺し屋の群れに挑戦する白いやくざ!」、「殺されるのは俺か! 恋人か! 怖るべき非情を爆発させる殺し屋の世界!」である[3]。併映は、田中重男監督の『東京の女性』(出演:山本富士子[2][3]

なお、映画公開から44年後の2004年(平成16年)の明治古典会七夕入札会において、『からっ風野郎』の未発表写真(撮影:田島正)20枚とそのネガが出品された[11]目次

1 製作の経緯

1.1 企画から記者発表

1.1.1 三島主演の企画

1.1.2 「俳優宣言」


1.2 脚本作り

1.2.1 競馬の騎手役「肉体の旗」

1.2.2 新たな脚本「からっ風野郎」


1.3 撮影

1.3.1 脚本手直し

1.3.2 増村監督のしごき

1.3.3 ラストシーンでの事故

1.3.4 幻の予告篇

1.3.5 スチール写真


1.4 主題歌


2 あらすじ

3 キャスト

4 スタッフ

5 評価

6 増村保造と三島由紀夫

7 若尾文子と三島由紀夫

8 エピソードなど

9 音声資料

10 脚注

10.1 注釈

10.2 出典


11 参考文献

12 外部リンク

製作の経緯
企画から記者発表
三島主演の企画

大映プロデューサー藤井浩明は、三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』の冒頭部の章が雑誌『聲』に発表されて以来その映画化を企画し、完結した書き下ろしの『鏡子の家』が1959年(昭和34年)9月に刊行されると同時に、市川崑監督を依頼した[2]。市川崑は以前に『炎上』(1958年8月封切)で三島の『金閣寺』の映画化に成功していた実績があり、市川はすぐに快く承諾した[2]。大映の永田雅一社長も、三島の長編を市川崑でやる企画を報告すると、「乗った!」と会議にもかけずに即決した[2]

ところがそんな折、三島と付き合いの長い講談社の編集者・榎本昌治が藤井に、「三島の映画をやらないか」と、三島の主演映画を作る話を持ちかけてきた[2]


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