からくり
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テレビアニメ『とらドラ!』のキャラクターソング「カ・ラ・ク・リ」については「プレパレード」をご覧ください。
茶運び人形とその内部構造(復元品)。国立科学博物館所蔵。

からくりは、
仕組み、システム全般の俗称。

日本における古い時代の機械的仕組みのこと。漢字では絡繰、唐繰、機巧、機関、機、械、関など。本項で詳述する。

江戸時代の見世物、覗機関(のぞきからくり)の略称。

江戸時代に日本で開花した機械的仕組みのこと。国際的なオートマタ(歴史的な自動装置・自動人形)研究でもその独自性、文化性によって「karakuri」とローマ字表記される。
語源

語源については、「糸を引っ張って動かす」という意味の「からくる」という動詞の連用形の名詞化といわれ、16世紀後半頃から用例が確認されている[1]
からくりの歴史摂津名所図会』より「竹田近江機捩戯場」の図。「阿蘭陀が足もかゞまぬ目で見れば 天地も動く竹田からくり」の狂歌を添え、オランダ人たちが竹田からくりを見物する様子を描く。舞台にあるのは諌鼓鶏と『船弁慶』のからくりである。『機巧図彙』 細川半蔵著、大英博物館所蔵。画像は首巻の和時計の機構について解説した箇所。
古代のからくり

日本における最古の記録は『日本書紀』で、斉明天皇4年(658年)の指南車[注釈 1]

平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を作り、巻二十四第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)[注釈 2]絵師百済河成を驚かせるため、四方に扉がある堂を作り、いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じて違う場所の扉が開く仕掛けを作ったと記載されている。唐代中国にいた韓志和という日本人も「飛騨工」の一人とされる。
からくりの文化的開花
戦国時代

17世紀頃の戦国時代には西洋技術(とくに機械時計に用いる歯車カムなど)を応用したからくり人形が作られ始め、祭礼や縁日などに見世物として大衆の人気を呼ぶようになる。専門の職人による非常に精巧なものが作られるようになった。
江戸時代

元和6年(1620年)に尾張国名古屋東照宮祭においてに牛若弁慶の「からくり人形を載せた祭礼の山車[2]中京圏を中心に普及する。
からくり人形の大衆化

寛文2年(1662年)に大坂道頓堀初代竹田近江がからくり芝居を興行。この興行は「竹田からくり」と称され、その後約百年にわたって代々続く一大ブランドとなった。

18世紀初めの享保年間には、彦根藩藩士の平石久平次時光が後の三輪自転車に相当する新製陸舟車を発明した。寛政9年(1796年)には、細川半蔵の著書『機巧図彙』(からくりずい)が出版される[注釈 3]

19世紀には、「筑波のからくり伊賀」こと飯塚伊賀七が人力飛行機や道を歩いて酒を買いに行くからくり人形を作ったとされる。

幕末の石川県には茶運び人形を流用したと見られる弁吉作という三番叟が確認されている[3]。また「加賀平賀源内」こと大野弁吉空気銃蒸気船の模型、写真機を製作した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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