かねやす
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概要

「かねやす」を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)で[1]京都で口中医をしていた。口中医というのは現代でいう歯医者である。徳川家康が江戸入府した際に従って、江戸に移住し、口中医をしていた。

元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び[1]、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業する。「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷との両店で元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相であった。大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店がひらがななのはそのためである。その後、芝の店は廃業した。

1730年享保15年)、大火事が起こり、復興する際、大岡忠相は本郷の「かねやす」があったあたりから南側の建物には塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根茅葺きを禁じ、で葺くことを許した[1]。このため「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになり、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳が生まれた[1]。なお、1818年文政元年)に江戸の範囲を示す朱引が定められたが、これはかねやすよりはるか北側に引かれた。

その後のかねやすは7階建ての「かねやすビル」となり[2]、1階をかねやすの店舗とし[2]、2階以上をテナントに貸し出していた(以前道路拡張工事の為、移転の危機に晒された事もあるが、結局場所を少しだけずらす事で決着を見た)。2021年時点でビルは存在するが[1]、1階の店舗は営業を停止している[1][注釈 1]。東京(江戸)という都市部に於いて度重なる大火や地震戦災を経ても同一店舗が400年にわたって存在するのは珍しい事例であった。
画像

かねやす(2011年6月3日撮影)

かねやす店頭

かねやすビル全体(2011年6月3日撮影)

参考文献

大野敏明『知って合点 江戸ことば』文芸春秋〈文春新書〉、2001年、17頁。

脚注
注釈^ 日刊サイゾーに掲載された文章[2]によれば、2017年の春頃には既に閉店していた[2]

出典^ a b c d e f g h “かねやすビル”. 文京区 (2021年6月9日). 2022年4月19日閲覧。


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