お菊さん_(オペラ)
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メサジェ(1921年).mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

『お菊さん』(フランス語: Madame Chrysantheme)はアンドレ・メサジェによるプロローグと4幕およびエピローグからなるオペラで、1893年1月26日 [1]パリのルネサンス座(英語版)にて初演された。『マダム・クリザンテーム』、『お菊夫人』とも表記される。フランス語のリブレットはジョルジュ・アルトマン(英語版)とアンドレ・アレクサンドルによって書かれている[2]
概要イヴ、お菊、ロティ

本作はフランス人作家ピエール・ロティ自身の長崎滞在に基づいた1885年の同名の半自伝的小説『マダム・クリザンテーム(フランス語版)』(お菊さん)を原作としており、西洋人男性と日本女性の恋愛を描いている点で、ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』(1904年)の先駆的作品である[3]19世紀グランド・オペラの重要な要素であった異国趣味の中に現れた東洋趣味(オリエンタリズム)からさらに、日本に対する興味によるジャポニスムという潮流が現れ、これを受けてアンドレ・メサジェがオペラ化したものである。メサジェの音楽は間違いなく優雅で、器用であり、音楽により身についた知識に培われた演劇的な勘と魅力的な節回しを持っている[4]。「メサジェはこのオペラでオーケストラを拡大したり、声部にはイタリア様式を取り入れるなどして、それまでとは一味違う効果を狙った。例えば、第3幕でお菊夫人が歌うアリア『お聴きなさい、蝉たちの声を』の中にはヴェリズモ・オペラの影響を感じさせるような手法が聴きとれる」[3]
作曲の過程

メサジェは「お菊さん」の作曲の大部分を、1892年夏、ミラノの大出版社リコルディの社長、ジュリオ・リコルディの招待を受けて、ヨーロッパ屈指の保養地北イタリア・コモ湖畔のヴィラ・デステで行った。同ホテルにはプッチーニも招待されており、プッチーニは間近で「お菊さん」の作曲に立会ったことから、後の「蝶々夫人」にその影響が確認できる。[5]
初演とその後

ルネサンス座での初演の評判はあまり芳しくなく、16回の公演で打ち切りとなった。一方で、玄人筋の間ではその音楽が高く評価された[3]。初演の反応は賛否両論となったが、『ユニヴェール・イリュストレ』紙では「ルネサンス座の?落し公演を飾る初演作品は『二羽の鳩』と『司法書記団(英語版)』の作者であるアンドレ・メサジェによる素晴らしい詩劇である。詩のセリフは妙なる独創性に溢れ、曲は魅力的で、演出は芸術的趣味と贅沢の奇跡である。したがって、『マダム・クリザンテーム』の成功は確かなものとなった。?中略?口上を迎え入れた熱狂的な拍手は本作がルネサンス座のポスターに長い間その場を占めるであろうと期待できるのである」[6]。さらに、『幕間』紙のフェルナン・プジャは本作が「観客の情熱を掻き立てたと書き記すことは我々の実に喜びとするところである。?中略?ヒロインの性格は劇場という場の必要性から、変更が少し加えられていることは事実である。本の中の疑り深い小さな〈人形〉はセンチメンタルで真面目になっているが、筋立ての基本はほぼ変わっていない」としているが[7]、一方、『ル・モンド・アルティスト』紙では「マダム・クリザンテーム、この存在は奇妙で女でもなければ子供でもない。せいぜい人形といったところだろう」[8]と「劇らしさのないこと」を批判しているように「小説にあった微妙な心理的ニュアンスが劇では全くなくなってしまったことを嘆く」批評も見られた[9]。これは原作を高く評価する場合に見られる現象である。1916年の三浦環

パリでの初演後、モンテカルロ(1901年12月?1902年1月)、ブリュッセル(1906年)、ケベック(1929年)などのフランス語文化圏で上演された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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