お茶の水女子大学附属小学校
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お茶の水女子大学附属小学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分8.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.718972度 東経139.733167度 / 35.718972; 139.733167座標: 北緯35度43分8.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.718972度 東経139.733167度 / 35.718972; 139.733167
過去の名称東京女子師範学校附属小学校
東京女子師範学校附属練習小学校
東京女子師範学校附属小学校
東京女子師範学校附属女児小学校
東京女子師範学校附属小学校
女子高等師範学校附属小学校
東京女子高等師範学校附属小学校
東京女子高等師範学校附属国民学校
東京女子高等師範学校附属小学校
お茶の水女子大学文教育学部附属小学校
国公私立の別国立学校
設置者国立大学法人お茶の水女子大学
校訓自主協同(教育目標)
設立年月日1877年明治10年)2月1日
1877年(明治10年)9月授業開始
創立記念日9月20日
共学・別学男女共学
学期3学期制
学校コードB113110000061
所在地112-8610
東京都文京区大塚二丁目1番1号
外部リンクお茶の水女子大学附属小学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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お茶の水女子大学附属小学校(おちゃのみずじょしだいがくふぞくしょうがっこう、: Elementary School Attached to Ochanomizu University)は、東京都文京区大塚二丁目にある男女共学国立小学校。略称は「お茶小」。

設置者は国立大学法人お茶の水女子大学。幼稚園から大学まで同じキャンパスに存在する。
概要

大学は女子大学であるが、附属幼稚園・小学校・中学校は男女共学である。

学費が比較的低額であるため、小学校受験では付近にある
筑波大学附属小学校と並んで人気がある。

帰国児童教育学級がある。(4年4組)

校訓

教育目標 - 「自主協同」

自分で考えて正しく判断し、進んで行動する子を育成する。

自然と人間を大事にし、情操の豊かな子を育成する。

健康で、気力体力が充実し、意志の強い子を育成する。


校章

八稜鏡
[1]を背景に、中央に「小」の文字を配している。

校歌

「みがかずば」
[2]

作詞 - 昭憲皇太后明治天皇皇后[3]

作曲 - 東儀季熙(宮内省雅楽課)

「みがかずば たまもかがみも なにかせむ まなびのみちも かくこそありけれ[3]

日本初の校歌であり、お茶の水大学および附属学校の校歌となっている。



「わたしたちの歌」

4番まであり、それぞれアオギリキンモクセイイチョウが登場する。


沿革「東京女子高等師範学校#附属学校園」も参照

1877年明治10年)

2月1日 - 東京女子師範学校附属小学校として創立。

9月20日 - 授業を開始。


1878年(明治11年)7月2日 - 東京女子師範学校附属練習小学校と改称。

1881年(明治13年)4月 - 再び東京女子師範学校附属小学校に名称が戻る。

1882年(明治14年)7月10日 - 東京女子師範学校附属女児小学校と改称。

1885年(明治17年)8月26日 - 東京師範学校女子部附属小学校と改称。

1886年(明治18年)4月29日 - 高等師範学校附属小学校に統合。

1890年(明治23年)3月25日 - 女子高等師範学校附属小学校と改称。

1892年(明治25年)4月30日 - 分教室(単級小学校)を設置。

1893年(明治26年)3月 - 分教室を附属小学校第3部と改称。

1904年(明治37年)4月 - 第3部において2部授業を開始。

1908年(明治41年)3月31日 - 東京女子高等師範学校附属小学校となる。

1909年(明治42年)4月1日 - 第3部に特別学級を設置。

1911年(明治44年)2月 - 第3部に裁縫を中心とした修業年限2年程度の補習科を設置。

1914年大正3年)2月16日 - 第3部の補習科を廃止。

1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、東京女子高等師範学校附属国民学校に改称。

1944年(昭和19年)8月 - 附属国民学校児童が東村山郊外園へ疎開。(?1945年(昭和20年)4月まで)

1945年(昭和20年)4月 - 富山県へ再疎開。(?1946年(昭和21年)3月まで)

1946年(昭和21年)4月 - 授業を再開。

1947年(昭和22年)

3月 - 高等科を廃止。

4月1日 - 東京女子高等師範学校附属小学校(新制)として発足。附属中学校(新制)を設置。


1952年(昭和27年)4月1日 - 東京女子高等師範学校の廃止に伴い、お茶の水女子大学文教育学部附属小学校と改称。

1980年(昭和55年)4月1日 - 附属学校部が組織され、お茶の水女子大学附属小学校(現校名)となる。

選抜

現在の一般募集人数は毎年50名(男25・女25)であるが、志願者数が募集人数の60倍近くに上る。このため入学試験ではまず第一次検定として
抽選が行われ、約3000名の応募者のうち男女各210名程度が第二次検定(行動観察・実技・面接等)を受けられる。第二次検定合格者男女約50名ずつでさらに第三次検定の抽選を行い、男女各25名・合計50名が合格となる。

制服

男女ともに「お茶の水」
バッジを着用する。

女子 - 夏服は水色、冬服は紺色で多くの生徒が校内では上着を脱いだ校内着で過ごす。

男子 - 白のポロシャツと紺の半ズボンで、冬には上着を着用し学帽を着用する。夏服は白の半袖ポロシャツとグレーの半ズボンであるが、

グレーの上着(中間服)を着用することもできる。
学校行事

入学式、卒業式は同キャンパス内のお茶の水女子大学講堂(徽音堂)で行われる。

運動会では、たてわり班で1年生から6年生までで、協力して行われている。

のぎくという、伝統的な踊りがある。

著名な出身者

【50音順】

秋篠宮悠仁親王

阿久津幸彦

石井幹子

一方井誠治

内田光子

大塚道子[3]

奥田誠治

小栗虫太郎

加藤知子

川村京子

佐島直子


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