お茶の水女子大学附属中学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分10.4秒 東経139度43分52.6秒 / 北緯35.719556度 東経139.731278度 / 35.719556; 139.731278
お茶の水女子大学附属中学校(おちゃのみずじょしだいがくふぞくちゅうがっこう、英: Junior High School of Ochanomizu University)は、東京都文京区大塚にある男女共学の国立中学校。略称は「お茶中」。
設置者は国立大学法人お茶の水女子大学。
概要
高等学校・大学は女子のみであるが、附属幼稚園・小学校・中学校は男女共学である。
附属中学校生徒の男女比は1:2[1]と決まっているため、生徒のうち2/3が女子生徒である。
附属中学校は上記の附属小学校からの内部連絡進学者に加え、外部から男子約15名、女子35名(年度によって異なる)が受検により入学する。また、帰国生徒枠で、男子約5名、女子約8名が同じく受験により入学する。なお、帰国生徒の人数は、年度によって大きく異なる。受検問題は男女共通であるが、別枠での募集となり、合否基準も異なる。
校訓
「自主自律 ・ 広い視野」
校章
八稜鏡[2]を背景に、蘭と菊の模様と「中」の文字を配している。
校歌
「みがかずば」みがかずば 玉もかがみも なにかせん 学びの道も かくこそありけれ[3]
作詞 - 昭憲皇太后(明治天皇の皇后)
作曲 - 東儀季熙(宮内省雅楽課)
日本初の校歌であり、お茶の水女子大学および附属学校の校歌となっている。
沿革
前身「東京女子高等師範学校#附属学校園」も参照
1882年(明治15年)7月 - 東京女子師範学校附属高等女学校が創設。
開校
1947年(昭和22年)4月1日 - 6・3・3の新学制実施(学制改革)に伴い、東京女子高等師範学校附属中学校(新制)が開校。男女共学となる。
附属高等女学校(旧制)の1・2学年修了者と附属小学校高等科第1学年修了者を新制中学校2・3年生とする。
新しく入学した男子24 名、女子76名を1年生として発足。
1949年(昭和24年)4月1日 - 国立学校設置法により、お茶の水女子大学(新制大学)が設置され、東京女子高等師範学校が包括される。
1952年(昭和27年)4月1日 - 東京女子高等師範学校の廃止に伴い、お茶の水女子大学文教育学部附属中学校に改称。
1979年(昭和54年)4月1日 - 帰国子女教育学級が発足。帰国子女の受け入れを始める。
1980年(昭和55年)4月1日 - 組織改編で附属学校部が組織され、お茶の水女子大学附属中学校(現校名)と改称。
1991年(平成3年)- 体育館が完成。
2004年(平成16年)4月1日 - 国立大学法人化される。
施設
第1校舎
第2校舎
中庭
技術科教育棟
体育館(アリーナ・武道場)
テニスコート
グラウンドは大学と共用。1 郊外園・勤労教育・技術科「生物の育成」
郊外園(東村山市萩山町)
自動販売機
学級編成
1年時に帰国生徒学級がある。2年生になると2クラスに配属(菊と松)され、一般学級との混成となる。3年生になると、全クラスに配属される。
学級の名称
1年生 - 竹(帰国生徒学級)・蘭・菊・梅の4学級。
2・3年生 - 松、蘭、菊、梅の4学級。
各学級の略称はローマ字の頭文字をとって、T(竹)・M(松)・R(蘭)・K(菊)・U(梅)。
学校行事
3学期制である。
1学期