おんな太閤記
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この項目では、1981年NHK大河ドラマについて説明しています。これをリメイクしたテレビ東京のドラマについては「寧々?おんな太閤記」をご覧ください。
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この記事はプロジェクト:大河ドラマの編集方針を採用しています。編集される方はご一読下さい。

おんな太閤記
ジャンルドラマ
脚本橋田壽賀子
演出北嶋隆 他
出演者佐久間良子
(以下五十音順)
赤木春恵
浅茅陽子
東てる美
池上季実子
泉ピン子
音無美紀子
大和田伸也
大和田獏
角野卓造
神山繁
小松方正
近藤洋介
坂上忍
せんだみつお
田中好子
滝田栄
宅麻伸
中村雅俊
長塚京三
長山藍子
夏目雅子
西田敏行
尾藤イサオ
藤岡弘
フランキー堺
前田吟
ナレーター山田誠浩
オープニング坂田晃一
製作
製作総指揮伊神幹、渋谷康生
制作日本放送協会

放送
放送国・地域 日本
放送期間1981年1月11日-12月20日
放送時間日曜20:00-20:45
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数全50

番組年表
前作獅子の時代
次作峠の群像
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『おんな太閤記』(おんなたいこうき)はNHK1981年1月11日から12月20日まで放映した大河ドラマ第19作。主演は佐久間良子。全50話が放送され、豊臣秀吉の正室・ねね北政所)の視点で戦国時代から江戸時代初期(大坂の陣)までを描く。

原作の橋田壽賀子が大河ドラマの脚本を担当するのは、本作が初めてであった。
企画・制作

プロデューサーの澁谷康生は秀吉が描かれた大河ドラマを企画する際、『太閤記』との差別化のため秀吉の妻ねねを主人公とした『おんな太閤記』のタイトルを発案し、監修に戦国時代史研究の第一人者であった桑田忠親を迎え、考証と物語作りを進めたという[1][注釈 1]

澁谷が上層部に脚本家の提案を出しても蹴られ続け、その矢先に橋田の名を示されたことから、澁谷は橋田の起用は上層部で先に決めていたのではないかと述べている[1]。この措置に立腹した澁谷は橋田との初対面でドラマの構想を書いた紙を見せ、橋田は自分の存在をないがしろにされたと感じて「大喧嘩」になったが、橋田が納得して以後は澁谷と良好な関係になった[1][注釈 2]。橋田は澁谷の「女や子供が平和に暮らせるような社会を作りたい」という「反戦」のテーマに共感し、合戦よりも家庭の場面を中心とした戦国ドラマとなる[1]

橋田脚本の特徴としては、ト書きが少なく長いセリフを言わせるスタイルだったため、映像を現場でかなり自由に作ることができた[1]。その一方、橋田は執筆に際して歴史の勉強には取り組む姿勢がなく、狭い現代家屋の感覚で城内を移動させるような描写があり、その点の修正には苦労したという[1]

秀吉をめぐる女性としては豊臣秀頼の生母である側室・淀殿がよく知られ、北政所(高台院)の存在は影に隠れがちであった。高台院の俗名は、従来の大河ドラマ同様「ねね」としている[注釈 3]。ねねのほか、秀吉の母・なか(大政所)、弟・豊臣秀長、姉・とも(瑞龍院日秀)、妹・朝日姫をはじめ、木下?羽柴?豊臣家や浅野家など秀吉・ねね周辺の人々についても詳細に取り上げた点が特徴的である。中でも秀長(小一郎)が最重要キャラクターとして本格的に登場したのは大河ドラマ史上初めてであり、彼の活躍ぶりが描かれる作品はその後、1996年の『秀吉』まで現れない。秀長の妻・智雲院がレギュラー登場する大河ドラマは本作のみであり、2人の出会いや結婚にまつわるストーリーが詳しく描かれた映像作品は本作以外に存在しない。

キャスティングは秀吉に西田敏行、ねねに佐久間良子が起用された[3]。澁谷は実生活では「ひょうきん」な佐久間の性格を買い、人柄のよい西田と「コンビを組んだら面白い」という点で決めたと述べている[3][注釈 4]

なお、本作の放送年でもある1981年の最初の日曜日は、正月3が日に該当しない1月4日だったが本作は1月4日を避けてその1週間後にあたる1月11日に放送を開始し、1月11日に放送を開始した大河ドラマの作品は、本作とその23年後に放送された2004年の『新選組!』の2作品のみである。
反響

女性の視点からの戦国時代の描写は、従来の男性を中心とした戦国時代のファン層のほか主婦層にも幅広い支持を得て、平均視聴率31.8%[4]2009年現在、歴代5位)、最高視聴率36.8%を記録した(ビデオリサーチ調べ・関東地区)[注釈 5]。劇中で西田が扮する秀吉(藤吉郎)が、ねねを呼ぶ際に用いた二人称「おかか」はこの年の流行語になっている[3]

昭和50年代の大河ドラマは各作品とも20%から30%台の比較的高い視聴率を誇るが、本作が記録した平均視聴率31.8%と最高視聴率36.8%は特に高い。NHK衛星第2テレビジョンでは、最も早く全50話が再放送された。
あらすじ永禄3年、ねねは桶狭間の戦いで負傷した父親を見舞いに来た木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と親しくなり、やがて結婚する。藤吉郎の主君織田信長は猛烈な勢いで天下取りの道を驀進していき、その勢いに乗って藤吉郎も出世を重ねていく。ねねは目まぐるしく変化していく周囲の状況に戸惑いながらも必死に藤吉郎を支えていく。やがて藤吉郎は「羽柴秀吉」と改名、一国一城の主となる。秀吉の出世は彼の親族やねねの親族にも大きな変化をもたらした。秀吉の弟の小一郎(のちの豊臣秀長)や姉ともの夫嘉助(のちの三好吉房)、妹あさひの夫弥助(のちの副田甚兵衛)は武士に取りたてられ、ねねの妹ややの夫浅野弥兵衛(のちの浅野長政)、ねねの伯父杉原家次も秀吉の側近として出仕する事になる。


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