およげ!たいやきくん
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「およげ!たいやきくん」
子門真人シングル
初出アルバム『およげ!たいやきくん』
B面(両A面)いっぽんでもニンジン
(8cmCD以外、歌・なぎらけんいち
またね
(8cmCD、歌・橘いずみ
リリース1975年12月25日(オリジナル盤)
1992年7月1日(8cmCD)
2005年(シェイプレコード)
2008年3月5日(12cmCD)
録音1975年11月26日[1]
ジャンル童謡
時間4分09秒
レーベルキャニオン・レコード
(オリジナル盤)
アナログコーポレーション(シェイプレコード)
ポニーキャニオン
(上記以外)
作詞・作曲高田ひろお佐瀬寿一
ゴールドディスク


第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞

第9回全日本有線放送大賞特別賞

第7回日本歌謡大賞特別賞

チャート最高順位

1位(オリジナル盤、11週連続、オリコン

57位(8cmCD、オリコン)

19位(12cmCD、オリコン)

1976年度年間1位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング1位

44位(8cmCD、CDTV

16位(12cmCD、CDTV)

1位(オリジナル盤、ミュージック・ラボ)[2]

子門真人 シングル 年表

勇者ライディーン
(1975年)およげ!たいやきくん
(1975年)いつになれば
UFO戦士ダイアポロン
(1976年)

ひらけ!ポンキッキ 年表

たべちゃうぞ矢沢邦江(ガチャピン)
(CX-101/1975年) 「およげ!たいやきくん」子門真人
(CX-102/1975年) 「そらとぶさんりんしゃ」なぎらけんいち
(CX-103/1976年)

試聴
およげ!たいやきくん - YouTubeポニーキャニオン提供YouTubeアートトラック)
いっぽんでもニンジン - YouTube(ポニーキャニオン提供YouTubeアートトラック)


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『およげ!たいやきくん』
ひらけ!ポンキッキコンピレーション・アルバム
リリース1976年2月10日
ジャンル童謡
レーベルキャニオン・レコード
プロデュース-
チャート最高順位


週間1位(オリコン

1976年度年間1位(オリコン)

ひらけ!ポンキッキ アルバム 年表

ひらけ!ポンキッキ Vol.2
(1975年)およげ!たいやきくん
(1976年)ホネホネ・ロック パタパタママ
(1976年)

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『およげ!たいやきくん』は、1975年昭和50年)にフジテレビ子供向けの番組ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発表、リリースされた童謡

作詞高田ひろお作曲編曲佐瀬寿一ディレクター小島豊美子門真人が歌ったバージョンは、2021年3月現在、日本でレコード売り上げ枚数が最も多いシングル盤(フィジカル・シングル)とされている。本項では、この曲も収録された同名のLPも扱う。

なお『ひらけ!ポンキッキ』番組内で放送された同曲のアニメ映像内でのタイトル表記では「!(感嘆符)」がついていない。
内容

歌詞の内容は、「たい焼きがたい焼き屋[注釈 1]から逃げ出し、海へ逃亡する」というものである。

オリジナル盤シングルジャケットのキャラクターデザイナーは「バボちゃん」などを手がけた田島司。アニメキャラクターの「たいやきおじさん」のモデルは売り上げ世界一を誇るたい焼き店「浪花家総本店」会長の神戸守一(2010年5月5日、満86歳で死去[3])といわれる[4]。歌詞のモデルも浪花家総本店と主張されることがあるが、作詞者の高田ひろおは、練馬駅近くで見かけた[注釈 2]たいやきから歌詞を思いついたと証言している[5]

オリジナル盤シングルのB面(LPのB面1曲目)は、なぎら健壱(なぎらけんいち名義)の「いっぽんでもニンジン」(作詞:前田利博、作曲・編曲:佐瀬寿一)であった。数え歌で、無理問答の連鎖のような歌詞。オリジナル盤シングルは両面ジャケットのため、両A面という見方もでき、こちらも売上げに一役買った。本シングルの発売以前に、1975年キングレコードから発売されたLP『ひらけ!ポンキッキ』(SKM(H)2229)で三浦けんいちの歌で収録されている(曲名は「いっぽんでもにんじん」)。こちらでも作曲者の佐瀬寿一が編曲したことになっているが、佐瀬寿一は自身のインタビューで、SKM(H)2229収録の音源は自分の編曲したものではないと否定している[6]。映像は、1970年代では「世田谷公園」の噴水をバックに、紙で作られたニンジンなどのキャラクターを映していた(『たいやきくん』もこのパターン)が、1980年代からはオールセルアニメに変更(映像をリメイクするのは当時の『ポンキッキ』では異例)、後年の放送ではほとんどセルアニメ版を放送、紙キャラ版はフジテレビに存在するかは不明。
発売までの経緯練馬駅南の飲み屋街(2023年)

本曲を作詞した高田は、日大を卒業したのち絵本作家のかたわら『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲を手掛けていた[7]。あるとき、練馬駅前の商店街に所在した居酒屋で友人と一杯やったあと路地で立ち小便をし始めた処を、屋台のたい焼き売りから放尿を咎められた瞬間、故郷の釧路の思い出がフラッシュバックした[7]。それは凍てつく寒さの中、銭湯の帰り道に湯冷めしないようたい焼きを腹に当てて温めながら帰った記憶だった[7]。そしてなぜか、当時「鍵っ子」と呼ばれた寂しげな子供たちの姿がそのたい焼きに重なって見えた[7]。「子供たちに遊び心と冒険心を伝えたい」「たい焼きを七つの海で自由に泳がせたら面白い」と思い立ち、高田は児童小説を書き始めた[7]。『ポンキッキ』のスタッフはその話を面白がり、「ぜひ歌にして」と頼まれ生まれたのが本曲である[7]

1975年10月5日[8]10月21日とも[9][10])に当初、生田敬太郎の歌唱([11],詳細下段)が『ひらけ!ポンキッキ』で初めて流され、その後リクエストカードやフジテレビへのレコード発売の問い合わせが殺到した[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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