おはようパーソナリティ道上洋三です
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おはようパーソナリティ
道上洋三です
生放送に使用していた朝日放送ラジオ本社
(大阪福島区・ほたるまち
愛称おはパソ
ジャンルバラエティ・ワイド
放送方式生放送
放送期間1977年3月28日 - 2022年3月25日
放送時間平日 6:30 - 9:00(150分)
放送局朝日放送ラジオ
パーソナリティ道上洋三
出演いがらしあみ
テーマ曲クラリネット・ポルカ
プロデューサー小川鉄平
公式サイト公式サイト
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『おはようパーソナリティ道上洋三です』(おはようパーソナリティどうじょうようぞうです)は、1977年3月28日から2022年3月25日(金曜日)までの45年間にわたって、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)[1]が毎週月曜日- 金曜日の6:30 - 9:00に放送していた生ワイド番組。

朝日放送テレビ(ABCテレビ)[1]常勤顧問・エグゼクティブアナウンサー(当時)の道上洋三による冠番組で、平日版の『おはようパーソナリティ』シリーズとしては第2代の番組に当たることから、「おはパソ」という通称が広く用いられていた。

本稿では、2014年10月に放送を開始した派生番組(2019年9月までは基幹局を中心としたJRN10局ネット番組)で、当番組終了後の2022年3月26日以降も2023年4月1日まで毎週土曜日の7:00 - 7:30で放送を続けていた『道上洋三の健康道場』(どうじょうようぞうのけんこうどうじょう)および、2023年4月8日からの後継番組『Sunstar presents 浦川泰幸の健康道場プラス』(サンスタープレゼンツ うらかわやすゆきのけんこうどうじょうプラス)についても記述する。
概要

1971年(昭和46年)4月 から1977年(昭和52年)3月まで放送された『おはようパーソナリティ中村鋭一です』の後継番組で、2017年(平成29年)3月28日火曜日)に放送開始から40年目に到達。1992年(平成4年)と1997年(平成9年)には、日本民間放送連盟賞のラジオ生ワイド部門で優秀賞を受賞している[2][3]。キャッチフレーズは「朝はいつも、新しい」。

阪神タイガースが勝利した翌日(土・日曜日に勝利した場合には翌週月曜日)の放送中に、同球団のファンである道上が「六甲おろし」を熱唱することが特徴。放送35周年を迎えた2012年(平成24年)時点では、毎日70 - 80万人のリスナーに聴かれていた[4]。また、8時台の裏番組に当たる『ありがとう浜村淳です』(毎日放送)との間で、長年にわたって関西圏におけるラジオ聴取率のトップを争っていた[5]

朝日放送が現在の社屋(大阪市福島区)へ本社機能を移転した2008年(平成20年)6月以降は、同社屋13階のラジオ第2スタジオから放送することが多かった。また、祝日祭日と重なる平日を中心に、年に数回のペースで公開生放送やスタジオの外からの全編生中継を実施している。

1980年代には、自動車電話を搭載した移動中継車「テレッカー」からの無線電話による街かどレポート(当時のリポーターで後のアシスタント・高野あさおの項目も参照)などのコーナーがあった。また、1990年代には一時、居住地の歴史・文化・最新事情に詳しいリスナーを「タウンリポーター」として採用。道上との電話を通じて、定期的にリポートを送らせていた。

なお、道上が夏季休暇や体調不良による療養などで休演する場合には、後輩のアナウンサーや朝日放送(ラジオ)他番組のパーソナリティが代演している。この場合にも『おはようパーソナリティ道上洋三です』というタイトルで放送するため、代演者は放送上「『おはようパーソナリティ道上洋三です』、ピンチヒッターの○○です」と名乗っていた。
道上の体調不良と番組の終焉

道上は2021年9月11日(土曜日)に脳梗塞を発症してから、投薬治療を兼ねた入院を経て、リハビリ専門の施設が備わった病院へ転院。脳梗塞を発症する前のように右足を動かすことや発話することが難しい状況にありながらも、体調の回復に向けてリハビリを続けている。もっとも、退院までの時期が見通せない事態に至っているため、翌週(13日)以降の放送では朝日放送テレビから他のアナウンサーが日替わりでパーソナリティ代理を務めていた[6]詳細後述)。

番組スタッフがこのような状況で道上の家族などと協議を重ねたところ、「道上の体調が今後回復しても、(2021年度の時点で1日当たり)2時間半にわたる当番組の生放送へ高齢(脳梗塞を発症した時点で78歳)の身で週に5日臨むことをお願いするのは厳しい」との結論に至ったことから、道上を脳梗塞の治療に専念させるべく当番組のパーソナリティを2022年の3月末で卒業させることを決断。2021年12月20日月曜日)の放送中に、その旨がパーソナリティ代理の伊藤史隆(代演の時点では朝日放送テレビのアナウンサー)から発表された[7][8]

2022年1月18日には、朝日放送ラジオ代表取締役社長の岩田潤が、道上のパーソナリティ卒業を機に当番組自体を終了することを朝日放送グループの新春社長会見で正式に発表した[9]。岩田によれば、自身より20歳以上先輩に当たる道上を『おはようパーソナリティ』シリーズから卒業させることは「つらい決断」だったと述べている[10]

なお、『おはようパーソナリティ道上洋三です』というタイトルでの放送は、2022年3月25日(金曜日)で終了。同日までは、朝日放送テレビのアナウンサー(伊藤・小縣裕介古川昌希など)による代演体制を事実上継続する。また、放送45周年記念企画の一環として進めていたものの、道上の脳梗塞発症を境に中断していた『虹へ』(45周年記念テーマソング)の制作プロジェクトを3月2日(水曜日)から再始動。道上が発症の前に作っていた歌詞へ沼光絵理佳(当番組と縁の深いピアニスト)が付けたメロディーに、いがらしあみ2020年10月5日から道上のアシスタントを務めてきたオフィスキイワード所属のフリーアナウンサー)・パーソナリティ代理のアナウンサーをはじめ、道上と関係の深い人々の歌唱を収録した音源やリスナーから寄せられた歌唱音源(2022年3月16日まで公式サイトで募集)を組み合わせたうえで、伊藤がパーソナリティ代理を務める3月21日(月曜日・春分の日)放送分で初めて披露した(詳細後述)。中邨雄二がパーソナリティを代行する3月22日(火曜日)・23日(水曜日)には、当番組45年の歴史を過去の音源で振り返る特別企画を放送している。

最終回は、小縣といがらしのコンビで生放送を進行。道上の登場は叶わなかったものの、道上の妻(道上が当番組で「クマさん」と称していたフリーアナウンサーの熊谷瞭子)が音声で寄せたメッセージを通じて、道上が45年の節目に「おはようパーソナリティ」を卒業することを2021年の初頭から検討していたことが初めて明かされた。そして小縣は、「毛筆でしたためた」という道上への「送辞」をエンディングパートで朗読した後に、道上へのエールを交えながら『六甲おろし』(道上が放送中にたびたび歌っていた阪神タイガースの球団歌)を独唱することによって45年間の放送を締めくくった[11]

その一方で、日刊スポーツ新聞西日本では、「感謝状 道上洋三殿」と銘打った全面特集を最終回当日の大阪本社発行版(25面)に掲載。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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