おはよう!ナイスデイ
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おはよう!ナイスデイ

ナイスデイ
ジャンル
ワイドショー情報番組
出演者須田哲夫
田丸美寿々
荒川強啓
山田美也子
桑原征平
向坂樹興
吉崎典子
川端健嗣
八木亜希子
軽部真一
小島奈津子
生島ヒロシ
柴田光太郎
笠井信輔
榊原るみ
ほか出演者を参照
製作
制作フジテレビジョン

放送
放送国・地域 日本

おはよう!ナイスデイ
(放送開始 - 1994.3・1994.10 - 1998.3)
放送期間1982年4月1日 - 1994年3月31日
1994年10月3日 - 1998年3月27日
放送時間平日 8:30 - 9:55
放送分85分

(1994.4 - 1994.9)
放送期間1994年4月1日 - 9月30日
放送時間平日 8:00 - 9:55
放送分115分

ナイスデイ
(1998.4 - 1998.9)
放送期間1998年3月30日 - 10月2日
放送時間平日 8:30 - 9:55
放送分85分

(1998.10 - 放送終了)
放送期間1998年10月5日 - 1999年3月31日
放送時間平日 8:25 - 9:55
放送分90分
特記事項:
1998年3月30日から終了までは『ナイスデイ』として放送。
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『おはよう!ナイスデイ』は、フジテレビ系列で1982年4月1日から1999年3月31日までにかけて生放送していた平日ワイドショー情報番組である。

1998年3月30日から放送終了までは、『おはよう!』をタイトルから外して、『ナイスデイ』のタイトルで放送された。
概要

小川宏ショー』の終了に伴い、「しぼりたての朝」をキャンペーンフレーズとしたフジテレビ平日朝枠の大改編の目玉番組の一つとして1982年4月1日に放送を開始。『3時のあなた』でアシスタントを務めていた須田哲夫、『FNNニュースレポート6:30』のキャスターだった田丸美寿々(いずれもフジテレビのアナウンサー)、フリーアナウンサー荒川強啓を初代の総合司会に起用した。荒川は山形放送のアナウンサーだったが、当番組の開始に合わせて同局を退職している。もっとも、田丸は1983年2月に司会を降板したうえで、翌3月末にフジテレビを退職。1985年4月から2年間は、荒川に代わって、関西テレビアナウンサー(当時)の桑原征平が須田とのコンビで総合司会を務めていた。

桑原は、『ハイ!土曜日です』(「『小川宏ショー』の土曜版」という位置付けで当番組と同じ時間帯に関西テレビが制作していた全国ネット向けの生放送番組)で1975年10月から放送されていた「征平の挑戦」(体験ロケ企画)での体当たりリポートで全国的な知名度を得たことを背景に、1984年4月から『モーニングスタジオ 土曜!100%』(『ハイ!土曜日です』の2代後の番組)でメイン司会を担当。『土曜!100%』では視聴率が徐々に上昇していたが、関西テレビ局内の事情から1年で終了することが決まったため、終了後の長期休暇が内定していた桑原に当番組のプロデューサーが「田丸の後任にふさわしい」との理由で白羽の矢を立てた。結局、フジテレビ・関西テレビ両局の上層部を巻き込んだ折衝の末に、「桑原をアナウンス職のまま関西テレビの東京支社へ単身で赴任させたうえで、『桑原の使用料』(1日につき5万円)をフジテレビから支払わせることを条件に、『番組出向』扱いで当番組へ出演させる」という体制に落ち着いた。なお、桑原は出向期間の満了(1987年3月)を機に当番組の司会を退いたが、関西テレビ本社への復帰後もインタビュー企画で当番組に出演している。

1994年4月改編には、直前に『めざましテレビ』が開始したことに伴い、『ひらけ!ポンキッキ』の後継番組である『ポンキッキーズ』を夕方に移した上で、放送開始時刻を8:00に繰り上げ。新総合司会にTBS出身の生島ヒロシを迎えた。「日本の朝はこれでいいのか」をキャンペーンフレーズにしたフジテレビでは『めざましテレビ』と本番組、直後の『どうーなってるの?!』を合わせ5:55から11:25まで5時間半の連続生放送が実現。この期間、本番組は8時からの30分間はカスタム時刻表示を導入していた(『めざましテレビ』とフォントは同じだが、色違いで緑色を使っていた)。しかし、半年後の10月改編で本番組は8時30分開始に戻ることとなる。空いた30分枠には『ポンキッキーズ』が戻ることとなった。

1998年3月30日からタイトルは「おはよう!」を外して『ナイスデイ』に変更し、さらに半年後には開始時刻を5分前倒しして8:25開始[注 1] とするリニューアルを図った。『タイム3』から6年半午後のワイドショー枠で総合司会を務めた笠井信輔(当時フジテレビアナウンサー)と女優の榊原るみを起用した(年齢的には榊原が10歳以上年上になるが番組の総合司会序列では笠井がメインだった)。

1999年3月31日に番組は終了し、『小川宏ショー』と同じく17年の歴史に幕を閉じた。同年4月1日からは、後継番組として『どうーなってるの?!』の総合司会だった小倉智昭を総合司会に迎えた『情報プレゼンター とくダネ!』を開始し、放送開始時刻を4年半ぶりに8:00へ繰り上げた[注 2]。なお、笠井は同番組にサブ司会兼メインアシスタントとして続投し、2019年9月まで出演した。

末期では、時間帯視聴率民放最下位を記録するケースもあった[1]

1989年11月ごろまで手書きのテロップを使用していたが、1989年12月ごろからワープロのテロップを使用した(『タイム3』『生島ヒロシのおいしいフライパン』『THE WEEK』なども同様)。
出演者
放送時間・総合司会・芸能デスク

「おはよう!ナイスデイ」歴代総合司会・芸能デスク期間放送時間(JST)総合司会芸能デスク
男性女性
1982.4.11983.2.7平日 8:30 - 9:55(85分)須田哲夫
荒川強啓[2]田丸美寿々[3]前田忠明1
1983.2.81983.3.25(不在)
1983.3.281985.3.29山田美也子
1985.4.11987.3.27須田哲夫
桑原征平2
1987.3.301991.3.29向坂樹興吉崎典子3
1991.4.11993.3.31川端健嗣八木亜希子
1993.4.11994.3.31川端健嗣
軽部真一小島奈津子
1994.4.11994.9.30平日 8:00 - 9:55(115分)生島ヒロシ大林典子4・5
1994.10.31995.9.29平日 8:30 - 9:55(85分)
1995.10.21998.3.27向坂樹興
柴田光太郎
1998.3.301998.10.2笠井信輔1榊原るみ
1998.10.51999.3.31平日 8:25 - 9:55(90分)



1 『情報プレゼンター とくダネ!』も続投。

2 系列の関西テレビのアナウンサーであったが、司会期間中は東京に単身赴任して出演していた。

3 1期目の出演の末期に結婚し、大林姓を名乗るようになった。

4 2期目の出演(その後現在の吉崎姓に戻る)となる。

5 1994年10月から1995年9月および1997年4月から1998年3月まで、午後のスポットニュースを兼務(詳細は各番組のページを参照)。




なお、テレビ山口テレビ大分は一貫して8:30開始であった(8:00開始時代や8:25開始時代は飛び乗り)[注 3]

コーナーキャスター

中村洋子(1982年4月 - 1986年3月)


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