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出典検索?: "おかめ"
おかめは、古くから存在する日本の面(仮面)の一つである[1][2]。丸顔、鼻が低く丸く、頭が小さく、垂髪、頬が丸く豊かに張り出した(頬高)特徴をもつ女性の仮面であり、同様の特徴を持つ女性の顔についてもそう呼ぶ[1][2]。お亀、阿亀(おかめ)とも書き、お多福、阿多福(おたふく)、文楽人形ではお福(おふく)、狂言面では乙御前(おとごぜ)あるいは乙(おと)ともいう[1][2][3][4]。阿亀蕎麦(おかめそば)等、「おかめ」を冠したものの略称でもある[3]。
呼称・表記面の由来とされるアメノウズメの像(宮崎県高千穂町、2009年撮影)。
多岐にわたる呼称・表記を下記の通り整理する。
おかめ(お亀、[1][2][3]、阿亀[3]) - 里神楽 (⇔ ひょっとこ)
おたふく(お多福[1][2]、阿多福[3])
おふく(お福[2]、御福[4]) - 文楽人形
おとごぜ(乙御前[1][2]) - 狂言面
おと(乙[2]) - 狂言面
略歴・概要「お福」の土人形(仁阿弥道八、19世紀)。「お亀」は、酉の市の大熊手のメインキャラクターである(大國魂神社、東京都府中市)。
この滑稽な面の起源は、日本神話の女性、日本最古の踊り子であるアメノウズメであるとされる[2]。アメノウズメは、7世紀の律令制下の神祇官に属し神楽等を行った女官、猿女君の始祖である[5]。
素顔を原則とする狂言において、仮面を使用するのは老人、醜女、神・仏、鬼、動植物の類であるが、「乙」(乙御前)は醜女に当たる[6]。狂言面の起源とその時期について、詳細は不明であるが、能面と関係しており作者もほぼ共通しているとみられている[7]。したがって、能面なるものが完成をみる室町時代から江戸時代初期にかけての時代(14世紀 - 17世紀)に、狂言面としての「乙」(乙御前)も完成をみると考えられる[7][8]。「乙」(乙御前)の狂言における役割は、男に逃げられる醜女、姫鬼、福女である[1]。「乙御前」とはもともと「末娘」の意味であり、狂言『枕物狂』ではその意味に用いられたセリフが存在する[9]。転じて「醜女」の意になり、狂言面「乙」(乙御前)となった[9]。「乙御前」が登場する狂言は、
釣針
仏師
六地蔵
等である[10]。「おたふく」という名称は、狂言面の「乙」(乙御前)の「オト」音の転訛ともいわれる[1]。ほかにも「福が多い」という説と、頬が丸くふくらんだ様から魚の「フク」(河豚・ふぐ)が元という説もある[要出典]。「阿多福」は、「阿多福面」(おたふくめん)の略であり、醜い顔であるという意図で女性に対して浴びせかける侮辱語として使用されることがある[11]。
「おふく」は、室町時代(14世紀 - 16世紀)にはすでに出現していた大道芸、新春の予祝芸能を行う門付芸「大黒舞」で、大黒天を中心に、えびすの面を覆った人物とともに、同様に覆面で、連れ立って現れたキャラクターである[12]。「おふく」という名称は、とくに江戸時代初期(17世紀)に大坂(現在の大阪府大阪市)で生まれた文楽でとくに使用されるもので、文楽人形の首(かしら)の一つの名称でもある[4][13]。下女、あるいは下級・端役の女郎役のものである[4]。近松門左衛門の浄瑠璃『傾城反魂香』(1708年)にも、「姫君はさて置き、たとへ餅屋の御福でも」というフレーズで、姫君と「餅屋の御福」を比較し、つまり餅屋の店員の不細工な女であっても、という扱いで登場している[4]。1712年(正徳2年)の銘がある『七福神戯遊之図』には、七福神に加えて、布袋に酌をする8体目の女神が描かれており、これが「お福」または「乙御前」であるとの説明書きが付随しているという[14]。文化年間(1804年 - 1817年)に発表された『街談文々集要』によれば、「お福」は父を「福寿」、母を「お多福」とし、「西ノ宮夷」(現在の西宮神社、兵庫県西宮市)支配下の「叶福助」の妻だという設定が記載されている[14]。宮田登によれば、近世に流行する、福助、お多福、福太郎、福太夫、そして「お福」は、狂言の世界には先行して登場しているという[15]。