おおスザンナ
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「おおスザンナ」
オリジナル楽譜
楽曲
英語名Oh! Susanna
出版W.C.ピータース(1848年)
作曲者スティーブン・フォスター
作詞者スティーブン・フォスター
言語英語
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

「おおスザンナ」(Oh! Susanna)は、スティーブン・フォスターミンストレルソングで、1848年に最初に出版された歌曲ヨーロッパ音楽、白人アメリカ人の音楽、アフリカン・アメリカンの音楽を融合させた、最も有名なアメリカの歌である。
背景

1846年、スティーブン・フォスターはオハイオ州シンシナティに引っ越し、兄の蒸気船会社の簿記係を務めた。シンシナティにいる間に、フォスターはおそらく所属する社交クラブのために「おおスザンナ」を書いた[1][2]。この歌は、1847年9月11日にペンシルベニア州ピッツバーグで、地元のクインテットのコンサートで最初に披露された[3]。1848年にシンシナティの W.C.ピータース社より、最初に出版された[4]。他のミンストレル・ショーの一座もこの歌を演奏するようになったが、多くは自分自身の名前でこの歌を勝手に著作権登録しており、1848年2月25日から1851年2月14日までの間に21回も登録・出版が行われている[5][2]。フォスターはこの歌で 100ドル(2012年のドルに換算すると 2,653ドル)しか稼げなかったが[6]、ファース・ポンド社と楽譜1部につき 2セントの印税率で契約し[2]、アメリカで最初のプロのソングライターになった[7][8]

この曲名は、フォスターの亡くなった姉シャーロット(ミドルネームはスザンナ)からとられた可能性が指摘されている。[9]
音楽.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}"Oh! Susanna" (1848)スティーブン・フォスター「おおスザンナ」(アメリカ海軍バンドの演奏)この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

この歌は、様々な伝統音楽が混ぜ合わさっている。アフリカ起源の楽器であるバンジョーで始まり、歌はちょうどその頃ヨーロッパからアメリカに伝わったポルカのビートを取り入れている[3][10]。グレン・ワズナー曰く、この歌は既存の歌「アラバマのバラ」(1846年)に影響を受けていて、詞や音楽に似ている部分があるとしている[11]

メロディーの最初の2回のフレーズ呂音階である[12] Play[ヘルプ/ファイル]

詞については、フォスターの初期の作品に多くみられるように、内容はナンセンスである[2][13]。最初のバースは「出発した日は1日中雨だったけど乾燥していて、今は太陽はとても暑いけど死ぬほど寒い」(It rain'd all night the day I left, The weather it was dry, The sun so hot I froze to death...) 、2度目のバースは「息を止めるために目を閉じた」(I shut my eyes to hold my breath...) とある。また、2度目のバースには「電流をあげて500人のニガーを殺した」(De lectric fluid magnified, And killed five hundred nigger) という歌詞も登場している。
人気の広がり

この歌はスティーブン・フォスターの代表曲というだけではなく[14]、アメリカで最も有名な歌の1つである[15]。また、歌詞はカリフォルニアへ旅立つ内容にアレンジされて[5]フォーティナイナーズの非公式テーマ曲になった[14]ペンシルベニアドイツ語のこの歌は、メロディーはフォスターのままだが、詞は完全に異なる内容である[16]

日本には、1852年頃にジョン万次郎が初めてこの曲を伝えた[17]。その後、1964年にはNHKのテレビ番組『歌のメリーゴーラウンド』で日本語の歌で放送された。また、学校教育でも用いられており、小中学校の音楽の教科書にもたびたび掲載されている[18]近鉄特急大和西大寺駅到着前のチャイムとしても採用されている。
主な録音

1955年にシンギング・ドッグスが歌ったコミック・バージョンは、アメリカビルボード・ポップシングルチャートで22位を記録した[19]。1965年に発表されたバーズの2枚目のアルバム『ターン・ターン・ターン』の最終トラックに、ユーモラスな「おおスザンナ」が収録されている[20][21]ジェームス・テイラーも、1970年に発表した2ndアルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』に、この歌を収録している[22]ニール・ヤングの2012年のアルバム『アメリカーナ』の最初のトラックに、この歌が収録されている[23]

1963年、フォークグループのビック・スリーは、ティム・ローズのアレンジの下「The Banjo Song」としてこの歌を録音した[24]。他にもキッス(録音はされていない)などの様々なミュージシャンにカバーされている。
脚注^ Richard Jackson. 1974. Stephen Foster song book: original sheet music of 40 songs. Courier Dover Press. p. 177.
^ a b c d “Foster Stephen C(ollins)”, Baker’s Biographical Dictionary of Musicians (Gale via HighBeam Research), (2001), ⇒オリジナルの2013年10月11日時点におけるアーカイブ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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