うめだ花月
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うめだ花月
Umeda Kagetsu
うめだ花月

情報
正式名称うめだ花月
旧名称うめだ花月劇場
うめだ花月シアター
よしもとrise-1シアター
完成1992年
開館2003年8月12日
閉館2008年10月31日
最終公演今夜で最後!サヨナラうめだ花月SP
収容人員190人
用途ネタ・演芸の興行
運営吉本興業株式会社
所在地530-0057
大阪府大阪市北区曽根崎2丁目15-20 スイング梅田ビル地下1階
最寄駅大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅より徒歩3分
大阪市営地下鉄谷町線東梅田駅より徒歩2分
最寄バス停大阪シティバス「曽根崎警察署前」停留所
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うめだ花月(うめだかげつ)は、大阪府大阪市北区曾根崎扇町通に面する複合ビル「スイング梅田ビル」地階にあった演芸場。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(2007年9月までは吉本興業)直営。1957年昭和32年)に初代劇場が開場し、1990年平成2年)に一旦閉館。再開発を経て1992年(平成4年)に新築された上記ビル内で2003年(平成15年)8月12日から2008年(平成20年)10月31日まで2代目劇場が5年2か月間興行を行った。
歴史
初代(1957年 - 1990年)

戦前、既に一大演芸会社であった吉本興業は、終戦を機に映画の時代が本格的に到来することを見越して演芸から撤退し、映画事業をメインとする会社に転換した。その一環として同社は、1946年(昭和21年)に大阪市北区角田町に洋画専門館「梅田グランド劇場」を開場させた。

1957年(昭和32年)4月8日、大阪市北区曾根崎中1丁目(当時)の現在地を購入の上、村野・森建築事務所設計、大成建設施工[1]による建物を新築して洋画専門館「梅田グランド劇場」を新しい建物の1階に移転した[注 1]。またこの建物の地階に、東映封切館「梅田花月劇場」を新規開場した。この「梅田花月」は映画館である。

1959年(昭和34年)、吉本は映画事業を縮小し、演芸に再参入した。その第一弾として同年3月1日、映画館梅田花月劇場を改装し演芸場「うめだ花月劇場」として開場した(これが本項のうめだ花月である)[2]。同時に開局したMBSテレビと独占契約を結び、こけら落しの軽演劇「アチャコの迷月赤城山」の中継が行われた[注 2]。詳細は「よしもと新喜劇#毎日放送開局とうめだ花月」および「毎日放送#テレビ放送の開始」を参照

当初は観客はまばらで不採算を余儀なくされたが、当劇場で新たな軽演劇「吉本新喜劇」がスタートし、これが当たって観客数が増加した。より多くの収容を可能にするため、梅田グランド劇場が地階に、うめだ花月劇場が1階に入れ替わった。ここでの当劇場の収容人員は約700名。地下に移動した梅田グランド劇場は主に松竹[注 3]の洋画作品を数多く上映。うめだ花月は1960年代半ばの演芸ブームや、1980年代半ばの漫才ブームで大いに脚光を浴びる。このブームにより東京で大成功し、大阪本社製作部次長に栄転した木村政雄は多角化経営を目指し、お笑い以外に進出するため当劇場を1990年(平成2年)3月をもって老朽化により閉鎖。ここで演芸場としての歴史はいったん閉じる。閉鎖に伴い、当劇場を母体とする吉本新喜劇には大幅なリストラ策を敢行することを決定、木村はこれを「新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」としてイベント化。世代交代とともに新喜劇の再生を見事に果たした。詳細は「吉本新喜劇#新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」を参照
改築後(1992年 - 2008年)

当地は解体され、複合ビル「SWINGうめだ」が新築された。その後SWINGうめだ地階に新開場する劇場を演芸場でなく、演劇専門とした。「うめだ花月シアター」(1992年 - )→「よしもとrise-1シアター」(2001年7月 - )[2][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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