うなぎパイ
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夜のお菓子「うなぎパイ」

うなぎパイは、有限会社春華堂が販売する洋菓子静岡県浜松市の名産品として全国で広く知られている。
概要

釧路のししゃもパイ(宮地製菓)が元祖だと言われいるがわからない。うなぎパイファクトリー(2013年9月)

ウナギのエキスをパイ生地に練りこんで焼き、最後に蒲焼のようにたれを塗って仕上げたもので、春華堂の登録商標(第2719548号ほか)となっている。うなぎの味はしない。2022年のねとらぼ調査隊の「お土産でもらうとうれしいご当地銘菓ランキング」の調査によると、5位の人気となっている[1]

1961年(昭和36年)に春華堂の二代目社長・山崎幸一が、「浜松=浜名湖の近く=ウナギの産地」という連想からウナギを使った洋菓子のアイディアを思いつき、フランスの洋菓子パルミエを参考にして作成された[2]。販売開始後、同時期に東海道新幹線東名高速道路の開通など東海地方で交通インフラの整備が進んだことが追い風となって急速に売り上げを伸ばし、1962年に60万本だった年間売り上げ本数が、3年後の1965年には700万本に達するなど、売り上げ増を記録した。その後、1966年にうなぎパイの年間売り上げ本数が1,000万本の大台を突破したのを契機に、同社はそれまでのパイ製造部門を別会社として独立させ、「株式会社うなぎパイ本舗」を設立。以来、同本舗がうなぎパイの製造を行っている。2005年4月6日には、浜松技術工業団地(浜松市中央区大久保町)内に、うなぎパイの製造工程を見学できる新工場「うなぎパイファクトリー」を開設した。

うなぎパイシリーズの菓子の通信販売は、壊れやすいことなどを理由に、2008年6月1日より中止となっている[3][4]

2016年4月よりJR名古屋駅構内での販売が順次中止されていた[注 1]。これは駅内販売の統括の東海キヨスクの意向であり、製造元の春華堂の意に反するものだった。のちツイッターなどで議論となり[5][6]、2016年9月16日より名古屋駅構内キヨスクで販売再開された[7]

2020年3月12日新型コロナウイルスの流行による需要減に伴い、13日から21日の間生産を休止することを発表した[8]。その後SNSなどを通じての支援により予定を早めて再開したものの、同年4月10日以降より再び生産を休止し[9]2021年も緊急事態宣言の再発令による需要減が見込まれるため、生産量を減らすことになった[10]

なお、イギリス南部の郷土料理に、パイ生地にウナギのぶつ切りを入れて焼き上げた「鰻のパイ (eel pie) 」(ウナギのゼリー寄せを参照)があるが、こちらとは無関係である。
販売箇所

うなぎパイは、静岡県内のみならず県外(東京?名古屋)の高速道路サービスエリア・駅売店・空港売店・デパート等など正規特約店で販売されている[11]

また、型割れ・崩れなどがあるものをまとめた「徳用袋」は、春華堂直営店7店舗のみでの販売となっている[12]

割れやすい性質を持つお菓子のため、春華堂では原則うなぎパイの通信販売を行っていない[4]。そのことに乗じて転売屋が、定価の倍額ほどの値段で通信販売をおこなっており、破損だらけの商品が届くという被害が購入者から報告されている[13]
PR関連
キャッチフレーズ包装デザイン

うなぎパイは「夜のお菓子」というキャッチフレーズでも知られているが、これはもともと、出張や旅行のお土産として家庭に買って帰ったその夜(晩)に「一家だんらんのひとときを『うなぎパイ』で過ごしてほしい」との願いを込めて当時の社長が考案したものであり[14]、現在巷間で広く流布しているような“精力増強”といったニュアンスは全くなかった。このようなイメージが広まった理由として同社は、うなぎパイの発売開始当時浜松は高度経済成長期下で夜の繁華街がとても賑わっており、そのような繁華街を歩いているときに「このキャッチフレーズを目にしたお客様で、精力増強のうなぎと結びつけてあらぬ解釈をしてしまった人も多かった」のではないかと推測している。もっとも、結果的に当初の意図とは全く違った形で定着したイメージをあえて否定するつもりもなかったようで、製品のパッケージデザインを変更する際に「いっそのこと『夜のお菓子』というフレーズにふさわしく、マムシドリンクの赤と黒と黄色に切り替えよう」と考えるなど、そのイメージを積極的に活用した販売戦略に出ようとした形跡も窺える[15]。ちなみに、現在のうなぎパイのパッケージは赤を基調としたデザインとなっている。なお、パイの原材料には"夜の調味料"としてニンニクも入っている。
CMソング

うなぎのじゅもん

作詞作曲・
小椋佳 歌・小椋佳&アルザ

2005年、「およげ!たいやきくん」から30年経ったこの年、「およげ!たいやきくん」「だんご3兄弟」「おさかな天国」に次ぐ歌をということで制作された。作詞作曲第一勧業銀行浜松支店長を務めた経験を持つ小椋佳に依頼され、老若男女に楽しめる歌に仕上げられた。2006年5月31日発売のアルバム『まんぷくトランス』で関塚裕二がカバーした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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