うえだ ひでひと(本名:植田 秀仁(読みは左記と同一)、1953年11月3日 - 2015年6月28日)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。山梨県出身。「植田 秀仁」「ウエダ ヒデヒト」「綴爆(すぺるばく=スピルバーグのもじり)」「舞刀満」「鳥南乃」名義での活動もある。 漫画家志望で、國學院大學在学中の1975年11月7日に研修生としてタツノコプロへ入社。作画も志望ではあったが、翌年3月に大学を卒業して正社員採用されると、演出部へ配属、同時採用の真下耕一と共に『タイムボカン』班の演出助手(第33話「ビックリ! 天女は宇宙人だペッチャ」)を務めることとなり、これがキャリアのスタートとなる。 同期の真下耕一、西久保瑞穂や2年遅れて入社した押井守らと「タツノコ四天王」と呼ばれ、演出部長の笹川ひろし総監督の下で『科学忍者隊ガッチャマンII』の演出を共同で担当した。以後、スタッフの流出が相次いだ1980年代のタツノコプロを演出家として支えたが、1987年にフリーに転じる。 その後も演出家として敏腕を振るっていたが、2015年6月30日の小山高生の公式サイトで、1年半前から体調を崩して闘病生活に入っており、癌のため同月28日に逝去したことが公表された[1]。享年61。 『逆転イッパツマン』に登場する国分寺の屋台「うえだ屋」の親父のモデル。 『パチスロ貴族 銀』の題字も書いている。 ※特に表記がないものは、うえだひでひと名義での参加。
経歴・人物
エピソード
作品リスト
テレビアニメ
1975年
タイムボカン (-1976年、演出) ※植田秀仁名義
1976年
ポールのミラクル大作戦(-1977年、演出) ※植田秀仁名義
1977年
ヤッターマン(-1979年、演出) ※植田秀仁名義
一発貫太くん(-1978年、演出) ※植田秀仁名義
風船少女テンプルちゃん(-1978年、演出) ※植田秀仁名義
とびだせ!マシーン飛竜(-1978年、演出) ※植田秀仁名義
1978年
科学忍者隊ガッチャマンII(-1979年、演出) ※植田秀仁名義
1979年
科学忍者隊ガッチャマンF(-1980年、演出) ※植田秀仁名義
1980年
とんでも戦士ムテキング(-1981年、演出) ※植田秀仁名義
1981年
ヤットデタマン(-1982年、ディレクター) ※植田秀仁名義
うる星やつら(-1986年、絵コンテ) ※鳥南乃名義
1982年
逆転イッパツマン (-1983年、ディレクター)
1983年
イタダキマン(ディレクター) ※植田秀仁名義
1984年
OKAWARI-BOY スターザンS(チーフディレクター)
よろしくメカドック(-1985年、チーフディレクター)
1985年
炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ (チーフディレクター)
ハイスクール!奇面組(演出) ※舞刀満名義
昭和アホ草紙あかぬけ一番!(-1986年、チーフディレクター)
1986年
ドテラマン(-1987年、演出)
1987年
げらげらブース物語(絵コンテ・演出)
赤い光弾ジリオン(演出) ※綴爆名義
ミスター味っ子(-1989年、絵コンテ)
1988年
おそ松くん(第2作)(-1989年、絵コンテ・演出)
1989年
アイドル伝説えり子(絵コンテ)
天空戦記シュラト(-1990年、絵コンテ)
1990年
平成天才バカボン(絵コンテ・演出)
三つ目がとおる(-1991年、監督)
1995年
H2(-1996年、監督)
NINKU -忍空-(-1996年、絵コンテ)
1996年
みどりのマキバオー(-1997年、絵コンテ・演出)
赤ちゃんと僕(-1997年、絵コンテ) ※綴爆名義
超者ライディーン(-1997年、絵コンテ) ※綴爆名義
1997年
はいぱーぽりす(絵コンテ、OPED絵コンテ)
EAT-MAN(絵コンテ)
1998年
万能文化猫娘(絵コンテ) ※綴爆名義
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