ういろう_(企業)
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株式会社ういろう [1]ういろう本店
略称ういろう
本社所在地 日本
250-0012
神奈川県小田原市本町1-13-17[2]
本店所在地250-0012
神奈川県小田原市本町1-13-17[2]
設立応安年間(1368年-1375年)[3]
業種食料品、医薬品
法人番号8021001032345
事業内容和菓子製造販売、医薬品製造販売
代表者代表取締役 二十五代 外郎藤右衛門[4]
関係する人物二代目市川團十郎
外部リンクhttps://www.uirou.co.jp
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株式会社ういろうは、神奈川県小田原市にある医薬品、和菓子メーカーである。経営する外郎家は中国にルーツを持つとされ、14世紀後半、の滅亡に際して来日し、当初博多に住み医師を開業した。その後京都に本拠を移し、医薬業を営む中で家伝の薬、ういろうが知られるようになり、また室町幕府の外交に関与した。16世紀初頭には一族ないし被官が小田原に移住し、家伝の薬「ういろう」の商いを行った。江戸時代、外郎家は小田原町の重鎮として宿老を勤め、ういろうは歌舞伎 外郎売の題材として取り上げられ、小田原の観光名所として繁盛した。

明治以降も商いを継続し、現在も家伝の薬「ういろう」と、室町幕府で外交に関与していた時期に外交使節の接待用に考案されたとする菓子「ういろう」を主力商品として、小田原に本拠地を定めて以降、現在に至るまで500年あまり、東海道沿いの同一の場所で商売を行っている。
小田原に定着するまで
中国から日本へ福岡市博多区の妙楽寺にある「ういろう伝来の地」石碑

「ういろう」を経営する外郎家は、元の時代の中国に出自を持つと言われている。南北朝時代から室町時代前半にかけて日本と中国との間の貿易が盛んになり、そのような中で中国から日本に帰化する人々が増えた。中でも医者や薬種商が多く帰化したとされている。外郎家も中国から帰化した医薬業の従事者であった[5][6]

記録によれば1402年(応永9年)の『吉田家日次記』に陳外郎の名が記されている。『吉田家日次記』によれば陳外郎の父は中国生まれであり、陳外郎本人は父の来日後に日本で生まれ、父が中国で就いていた官職名にちなみ外郎を名乗り、医療に堪能であるとされている[5]。1408年(応永15年)と翌1409年(応永16年)の山科教言の日記、「教言卿記」によれば、教言は陳外郎から薬を入手していて、外郎に「ウイラウ」とルビを振っており、ウイの発音は唐音かと記録している。このことから1408年の時点で外郎を「ういろう」と発音していたことがわかる[7][8]。そして室町時代の建仁寺の僧、月舟寿桂は『幻雲文集』の中で、外郎家の祖はの医療関係の部署である大医院に勤めていた順祖であり、法名宗敬、は台山を名乗っていたとしている。また陳順祖は陳友諒の親族でもあり、陳友諒が朱元璋との抗争に敗れ、朱元璋がを建国して中国を統一すると、陳順祖は日本に逃れることを決心して博多に来航したと記録している[6][9]

また江戸時代の記録では、黒川道祐の『雍州府志』には、陳宗敬は台州に生まれ、元の順帝の時代、礼部の員外郎を務めていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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