いんぐりもんぐり
出身地 日本 神奈川県横浜市
ジャンルロック
活動期間1985年 - 1990年
メンバー永島浩之 (ボーカル)
前島正義 (ボーカル)
斉藤拓也
いんぐりもんぐり(INGRY MONGRY)は、日本のロックバンド。
1985年、YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVALへ出場するため、当時横浜の高校生だった6人で結成された[1]。 中学時代の前島はフォークグループ「神淡布 カンタンフ」のヴォーカル兼ベースを担当していた(当時のメンバーは「いんぐりもんぐり」とは異なる)。高校入学後、永島を誘い新たなバンドを結成。文化祭では、シブ楽器隊の名称のみをパロディ化し「シブ楽器バンド」を名乗り演奏するなどしていた。三年生となり、就職や進学を考える傍ら、大規模コンテストへの出場を希望していた前島が永島に話を持ちかけ「第6回 YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVAL」への出場を決意する。急遽メンバーを掻き集める慌ただしさであった。また、出場応募用紙を入手した時点では正式なバンド名が未決定であった。思案に暮れていたとき、メンバーが所有していた「ドラゴンボール」のコミックスの中で、ブルマの発する『いんぐりもんぐりされるのかと思っちゃった』というセリフが目に留まる。ちょっと面白くて覚えやすい語感の良さから採用。「高校時代の思い出にコンテストに出場する」という文化祭のノリのような軽い気持ちだったこと、また応募曲がコミカルだったこともあり「バンド名はあまり深く考えずにノリでつけてしまった」とのちに語っている[2]。
メンバー
解散時メンバー
永島浩之
1967年6月7日生まれ[1]。ボーカル担当。しおこんぶ、INGRY'S、THE INGRY'S、FoolyouS(CHAP〔チャップ〕として活動)メンバー。
前島正義
1967年8月11日生まれ[1]。ボーカル担当。しおこんぶ、INGRY'S、THE INGRY'S、FoolyouS(PUG〔パグ〕として活動)メンバー。
岡本誠司
1968年1月14日生まれ[1]。ベース担当。実兄はCOILの岡本定義。
斉藤拓也
1967年10月14日生まれ[1]。ギター担当。
旧メンバー
遠藤肇秀
1967年5月12日生まれ[1]。ドラムス担当。
庄健治
1967年8月9日生まれ[1]。キーボード担当。活動後期、庄がライブ出演しない際(正式に脱退する前から)にはサポートとして中野詞子がライブに参加。
来歴
結成前
結成後
1985年 - メンバー全員、神奈川県立港北高等学校の3年に在籍。第6回YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVALへ出場するためバンドを結成し出場。同コンテストにおいてグランプリを受賞[3]。フィリップス・レコードと契約。
同年11月 - シングル「女子高生」でレコードデビュー。
1986年 - 1stアルバム『卒業記念』をメンバーの卒業式当日にリリース。3月、TBSバラエティ番組「レッツ・ラ・ゴー!」に出演(在京キー局初出演)。
同年4月 - 『いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン』放送開始。土曜2部のパーソナリティを務める(1987年6月まで[4])。
同年9月 - 2ndシングル「教師“C”」が映画『BE FREE!』の挿入歌に起用される。また、同映画には全員が出演。
同年10月 - TBS『モモコクラブ』にレギュラー出演。
1987年 - 中京テレビ『5時SATマガジン』の司会に前島と永島が抜擢される。
1988年 - 初のライブビデオ『いんぐりもんぐり抱腹絶倒ライブ、いんぐりさんがやってきた!ヤダ!ヤダ!!ヤダ!!!』をリリース。所属するフィリップス・レコードの邦楽部門撤退に伴い契約が打ち切られ、ポニーキャニオンへ移籍。
1989年 - 8枚目のシングル「ぶぁいYaiYai
1990年1月2日 - 初の日本武道館公演を敢行。同ライブをもって遠藤と庄が脱退し、バンド自体は充電期間に入る。その後、庄は音楽プロデューサーとして活動、遠藤は引退し一般企業へ就職した。いんぐりもんぐりの充電中、永島と前島はフォークデュオ・“しおこんぶ”として活動、フジテレビ『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』にもレギュラー出演。
1990年夏 - 日本青年館のライブをもっていんぐりもんぐりは解散。永島と前島は音楽ユニット『INGRY'S(イングリーズ)』として活動を継続。岡本は引退し実家の精肉店を継ぎ、斉藤は2000年ごろまで他のバンドで音楽活動を行う。
1991年 - HOT WAVE FESTIVAL SPECIAL LIVE のようなものを日本武道館で敢行。1日限りでINGRY MONGRY復活。
1992年 - 『嘉門達夫のお達者ワンダーランド』レギュラーパーソナリティを務める。
1993年 - 音楽へ専念するため、レギュラー番組(TV・ラジオ含む)をすべて降板。
1995年 - 「燃え尽きるバカヤロウ」を最後にINGRY'S終結。
同年6月 - THE INGRY'S(ジ・イングリーズ)として活動再開。
同年6月 - 『嘉門・THE INGRY'Sの爆裂スーパーファンタジー』パーソナリティ(1997年3月まで)。
1996年 - テレビ大阪『ナンテナワンダーランド』レギュラー。
1997年 - THE INGRY'SからFoolyouS(フーリューズ)に改名。個々の名称も永島浩之からCHAP(チャップ)、前島正義からPUG(パグ)へ。
同年4月 - FoolyouSへの改名に伴い、番組名を『嘉門・FoolyouSの爆裂スーパーファンタジー』に変更(翌年6月まで)
同年4月 - 7月 - 日本全国で『突撃!FoolyouSゲリラライブ』を敢行。
同年8月 - 映画『ヘラクレス』において声優として出演(ペイン(CHAP)、パニック(PUG)として)。
1998年 - 東京・大阪・名古屋で『FoolyouSライブ?冗談じゃない!』敢行。
同年6月 - 『爆裂スーパーファンタジー』を終了(THE INGRY'S(1995年6月 - 1997年3月)、Foolyous(1997年4月 - 1998年6月))。
1999年 - 嘉門達夫のバックバンドとしてライブに参加。
同年 秋 - 東京ディズニーランドのアトラクション「魅惑のチキルーム"ゲット・ザ・フィーバー"」に声のみの出演。
同年 秋 - クリスマスCD「栗鱒」をFC限定でリリース。
2000年 - 5月、東京・大阪・名古屋のライブツアー『ピリオド』を最後にFoolyouS終結。同年7月『ピリオド』のライブビデオ発売。
2014年 - 8月、24時間テレビのチャリティライブで2日間限定で復活。
2015年 - 本格的にINGRY'S活動を開始。同年11月21日にデビュー30周年。
2019年1月13日 - 横浜大さん橋国際客船ターミナル(大さん橋ホール)で行われたイベント『YOKOHAMA MUSIC STYLE』においてINGRY'Sのライブを行った[5]。ライブタイトル『INGRY'SはINGRYMONGRYになれるのか?』と銘打ち、いんぐりもんぐりオリジナルメンバーが参加、全9曲を演奏した(遠藤は仕事の都合により不参加)。いんぐりもんぐり名義でライブを行わなかった理由として、前島と永島以外のメンバーは現在音楽活動を生業としておらず各々の仕事の都合があるためとしている[6]。
2020年5月6日 - YouTubeに公式チャンネル『いんぐりちゃん』を開設。
2020年から、無観客ライブの模様を生配信している。これは2019新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け(「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」、「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」、「2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響」、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく休業参照)、緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置に基づいた措置である。