いろは歌
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2009年のボーカロイド曲「いろは唄」とは異なります。
七字区切りに改行したいろは歌。

いろは歌(いろはうた)とは、仮名文字を重複させず使って作られた47字の.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}誦文(ずもん)。七五調韻文で、作者は不明だが10世紀末から11世紀半ばの間に成立したとされる。のちに手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。転じて「いろは」は初歩に習得しておくべき事という意味も持つ。またその仮名の配列は字母表の「いろは順」として、中世から近世辞書類や番号付け等に広く利用された[1]
内容

現代に伝わるいろは歌の内容は、以下の通りである。 いろはにほへと ちりぬるをわかよたれそ  つねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみし ゑひもせす色は匂へど 散りぬるを我が世誰ぞ 常ならむ有為の奥山 今日越えて浅き夢見し 酔ひもせず

七五調の歌謡である今様の形式で、仮名を重複させることなく作られているが、これがいかなる内容を意味するのかは定かではない(後述)。古くから「いろは四十七文字」として知られるが、最後に「京」の字を加えて四十八字としたものも多く、現代では「」を加えることがある。四十七文字の最後に「京」の字を加えることは、弘安10年(1287年)成立の了尊の著『悉曇輪略図抄』に「末後に京の字有り」とあり、この当時すでに行われている。「京」の字が加えられた理由については、仮名文字の直音に対して「京」の字で拗音の発音を覚えさせるためだという説がある[2]いろは順には「京」を伴うのが広く受け入れられ、いろはかるたの最後においても「京の夢大坂の夢」となっている[注 1]
歴史

天禄元年(970年)成立の『口遊』(源為憲著)には、同じく仮名を重複させない誦文天地の詞大為爾の歌については記すが、いろは歌には触れておらず、またいろは歌を記した文献としては最古とされる『金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)は、承暦3年(1079年)の成立であることから、いろは歌は10世紀末から11世紀中葉までの間に成立したものとされている。
金光明最勝王経音義のいろは歌

いろは歌の文献上最古の用例は、『金光明最勝王経音義』(大東急記念文庫所蔵)である。著者は不明、「承暦三年己未四月十六日抄了」という奥書を持つ。「音義」とは、経典に記される漢字の字義や発音について説明した書物のことで、これは『金光明最勝王経』にある語句についてのものである。いろは歌は「先可知所付借字」(先づ付する所の借字を知るべし)という但し書きを最初に置き、以下のように仮名ではなく借字で書かれており、音訓の読みとして使われる文字の一覧となっている。七字区切りにして大きく書かれた各字の下に、小さく書かれた同音の借字(〈 〉内の文字)一つ乃至二つが添えられる(ただし「於」〈お〉の借字には小字は無い)。

以〈伊〉呂〈路〉波〈八〉耳〈尓〉本〈保〉へ〈反〉止〈都〉
千〈知〉利〈理〉奴〈沼〉流〈留〉乎〈遠〉和〈王〉加〈可〉
餘〈与〉多〈太〉連〈礼〉曽〈租〉津〈ツ〉祢〈年〉那〈奈〉
良〈羅〉牟〈无〉有〈宇〉為〈謂〉能〈乃〉於久〈九〉
耶〈也〉万〈末/麻〉計〈介/気〉不〈布/符〉己〈古〉衣〈延〉天〈弖〉
阿〈安〉佐〈作〉伎〈畿〉喩〈由〉女〈馬/面〉美〈弥〉之〈志/士〉
恵〈會/廻〉比〈皮/非〉毛〈文/裳〉勢〈世〉須〈寸〉

それぞれの文字には声点が朱で記されており、それぞれの文字のアクセントがわかるようになっている。小松英雄は各文字のアクセントの高低の配置を分析し、このいろは歌が漢語の声調を訓練するための目的に使われたのではないかと考察している(後述)。なお声点の付けられたいろは歌は、真言宗や声明に関わる古文献でも見られるが、この『金光明最勝王經音義』のものとはアクセントの高低がそれぞれ異なる。
出土物

三重県明和町斎宮跡で、平成22年(2010年)に平仮名でいろは歌が書かれた4片の土器が発見された。これは平安時代の11世紀末から12世紀前半の皿型の土師器であり、出土物として平仮名で記されたいろは歌としては国内最古のものである。4個の破片をつなぎあわせると縦6.7センチ、横4.3センチほどになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨書されている。繊細な筆跡と土器両面に書かれていることから、斎宮歴史博物館では斎王の女官が文字の勉強のために記したと推定している[3]。いろは歌を記した土器は佐賀県小城市の社遺跡からも見つかっており、これは12世紀中頃のものとされる[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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