いとしのルネ
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「いとしのルネ」
レフト・バンクシングル
初出アルバム『Walk Away Renee/Pretty Ballerina』
B面I Haven't Got the Nerve
リリース1966年7月
録音1966年
アメリカ合衆国 ニューヨーク、World United NYC
ジャンルポップ・ロックバロック・ポップ
時間2分43秒
レーベルSmash
作詞・作曲マイケル・ブラウン、トニー・サンソン、ボブ・カリーリ
プロデュースハリー・ルコフスキー
年表

"Walk Away Renee"
(1966)"Pretty Ballerina"
(1966)


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「ウォーク・アウェイ・レニー」
フォー・トップスシングル
初出アルバム『Reach Out』
リリース1968年
録音1967年
ジャンルソウルミュージック
レーベルモータウン
作詞・作曲マイケル・ブラウン、トニー・サンソン、ボブ・カリーリ
年表

Don't Let Him Take Your Love From Me
(1968)Walk Away Renee
(1968)If I Were a Carpenter
(1968)


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「いとしのルネ」(Walk Away Renee)は、アメリカ合衆国のバンドであるレフト・バンク1966年にヒットさせた曲で、シングルは1966年7月にスマッシュ・レコード (Smash Records) から(アクサンテギュを欠いた)「Walk Away Renee」としてリリースされた。この曲は、このバンドでキーボードを弾いていた、当時16歳のマイケル・ブラウン (Michael Brown)、本名マイケル・ルコフスキー (Michael Lookofsky) が、トニー・サンソン (Tony Sansone)、ボブ・カリーリ (Bob Calilli) と共作したものである。この曲は、モータウンのグループであったフォー・トップスによって、1968年に再びチャートに上るヒットとなった[1]

日本語における曲名の表記には揺れがあり、カバー・バージョンの曲名表記などでは「愛しのルネ」[2]、「ウォーク・アウェイ・ルネ」[3]、「ウォーク・アウェイ・レニー」[4]といった曲名で言及されることがある。
概要

この曲の半ばのインストゥルメンタル演奏によるブリッジでは、フルートのソロが聴かれる。マイケル・ブラウンは、フルートのソロを入れるというアイデアを、1965年11月に録音され、1966年はじめから盛んに放送でかけられるヒットになっていた、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」から取り入れた[5]。編曲には、大々的に弦楽オーケストラが盛り込まれ、印象的なハープシコード(チェンバロ)や、クロマチックに下降していくベースなどの特徴から、このバンドのサウンドは批評家たちによって「バロック・ポップ[6]とか、「バッハ=ロック (Bach-Rock)」、「バロックンロール (Baroque n Roll)」などと称されるようになった[7]

ローリング・ストーン』誌は、「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」において第220位にこの曲を挙げている[8]。発売後、この曲は13週間にわたってチャートに留まり、最高位は5位であった[9]。この曲は、その後、様々なジャンルやスタイルの歌手たちによって録音され、ヒットすることもよくあった。(詳細は、#おもなカバー・バージョン節を参照)
実在のルネ

この曲は、当時レフト・バンクのベーシスト、トム・フィン (Tom Finn) のガールフレンドで、ブラウンも思いを寄せていたルネ・フラーデン=カム (Renee Fladen-Kamm) についてブラウンが書いた多数の曲のひとつである。彼女はバンドと数週間にわたって行動を共にした、自由な精神をもった長身、金髪の人物であった。この曲は、ブラウンが彼女に会ってひと月経った時点で書かれたものである[10]。「いとしのルネ」は、恋心にのぼせたブラウンが、この新たなミューズに出会った後に書いた一連のラブ・ソングのひとつであった[11]。彼女について書かれた曲は、他にも、バンドにとって2曲目のヒットとなった「Pretty Ballerina」や、「She May Call You Up Tonight」などがある。その後、何十年にもわたって彼女の消息は伝わっていなかったが、2001年に、西海岸で、歌手、声楽教師、アーティストとして健在であることが明らかになった[12][13]

後にブラウンは、彼女に対する自分の報われることのなかった愛情について、「僕は一種の神話的な恋愛をしていたんだ、分かってもらえるかな、事実とか実際の行為とか根拠もないままにね。... でも、僕は誰よりも本物に近づくことができたんだ」と述べている[10]

フラーデン=カムは、この曲のレコーディングに立ち会っており、彼女がいたことで、この曲は完成しないままに終わりかけた。インタビューの中でブラウンは、「演奏しようとしたけど僕の手は震えてたんだ、コントロール・ルームに彼女がいたんだから」、「彼女がいたんじゃ演奏はできなかったから、後でスタジオに戻ってやり直したんだ」と述べている[14]
セッションの詳細

ドラムス:アル・ロジャース (Al Rogers)

ベース:ジョン・アボット (John Abbott)

ギター:ジョージ・ハーシュ (George (Fluffer) Hirsh)

ハープシコード:マイク・ブラウン (Mike Brown)

ストリングス:ハリー・ルコフスキー&フレンズ (Harry Lookofsky & Friends)

フルート:不詳(セッション・ミュージシャン)

編曲:ジョン・アボット

リード・ボーカル:スティーヴ・マーティン・カロ (Steve Martin Caro)

バッキング・ボーカル:ジョージ・キャメロン (George Cameron)、トム・フィン (Tom Finn)

エンジニア:スティーヴ・ジェローム (Steve Jerome)

スタジオ:World United NYC

録音時期:1966年はじめ

プロデューサー:ハリー・ルコフスキー、スティーヴ・ジェローム、ビル・ジェローム (Bill Jerome)[15]

おもなカバー・バージョン

フォー・トップスは、この曲を1967年のアルバム『Reach Out』で取り上げたが、このバージョンはこの曲のカバー・バージョンとして最も有名になったものとも言われることもあり[16]1968年には『ビルボード』誌の Billboard Hot 100 で14位まで上昇し、全英シングルチャートでも3位まで達した[17][18]

リッキー・リー・ジョーンズは、1983年のEPアルバム『Girl at Her Volcano』でカバーした。

1970年代に活躍した日本アイドルデュオであるピンク・レディーは、1979年に世界各国で発売したシングル「Kiss In The Dark」のB面に、この曲を収録した。このバージョンは、日本語では「ウォーク・アウェイ・ルネ」と表記される[3]


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