いすゞ・ビッグホーン
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いすゞ・ビッグホーン
2代目 後期 ロング
概要
別名いすゞ・ロデオビッグホーン(初代)
いすゞ・トゥルーパー
いすゞ・カリベ442

販売期間1981年-2002年
ボディ
ボディタイプ3/5ドアSUV
駆動方式四輪駆動
系譜
先代いすゞ・ファスターロデオ
後継いすゞ自動車乗用車部門撤退に伴い、なし
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いすゞ・ビッグホーン(ISUZU BIGHORN)は、かつていすゞ自動車が製造・販売していたSUV
概要

昭和56年(1981年)より販売開始。型式の「UBS」はビッグホーンの社内コードで、小型ボンネットトラックを指す。

日本における乗用車コンポーネントを流用したSUVの草分けだが、当初は装備も貧弱なうえ、貨物登録のみで商品力が弱く、国内マーケットには理解されないまま販売が伸び悩んだ。またフロントマスクがあまりにもレンジローバー1970年発売)の意匠と似ており、自動車評論家に「プアマンス・レンジローバー」と批判されたこともあった。このビッグホーンの登場の後にトヨタ・ハイラックスサーフ三菱・パジェロ日産・テラノの躍進によりRVブームが起こったが、ビッグホーンは草分けいわば先駆という立場でありながら常にこれらの後塵を拝する存在に甘んじた。

初期のUBS52系は、乗用車系の容量不足のフロントサスペンションとドライブトレインに起因する耐久性の低さが大きな問題であったが、サスペンションの設計変更を行い、エルフのエンジンとドライブトレーンを流用したUBS55系以降はその弱点を克服した。メディアへの露出が増えてくると、ごく自然なドライビングポジションや軽快でクセのないハンドリング、そしてクロスカントリーカーとしての悪路走破性など素性の良さが認められ、次第にマーケットに受け入れられていった。その一方、開発費不足から室内の改良までは手が回らず、居住性や利便性への不評は販売台数が伸びたことで逆に増える結果となった。

販売当初は国によってトゥルーパー(TROOPER)、中南米ベネズエラなどではカリベ442(CARIBE442)としていたが[1]1980年代末からSUVを持たないメーカーやGMグループ各社に対して、いすゞのOEM車の主力として、アキュラを含む、ホンダ・ホライゾンスバル・ビッグホーン、GMはシボレー・トゥルーパーオペルボクスホールへはモントレーホールデンではジャッカルーの名で販売された。

いすゞの小型乗用車事業撤退後[2]は主力車種となるが、2002年のSUVを含む乗用車事業からの完全撤退に伴い日本国内向けの製造は終了となった。その後はいすゞやGM系海外メーカー向けなどの輸出専用車として製造されていたが2003年にこちらも製造終了となった。2代目モデルは優秀なクロスカントリー車として現在も根強い人気があるが、生産終了から年数が経過し部品の入手が難しくなりつつある。
初代(1981年-1991年)UBS17/52/55型

いすゞ・ロデオビッグホーン
いすゞ・ビッグホーン(初代)
UBS17/52/55型
初代4ドア
写真は北米向けトゥルーパー
初代4ドアフェイスリフト後
写真は北米向けトゥルーパー
初代ショート イルムシャー
概要
製造国 日本
ベネズエラなど


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