ある崖上の感情
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ある崖上の感情
訳題Certain Feelings on a Cliff Top
作者
梶井基次郎
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『文藝都市』1928年7月1日発行7月号
出版元紀伊國屋書店
刊本情報
収録作品集『檸檬
出版元武蔵野書院
出版年月日1931年5月15日
題字梶井基次郎
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『ある崖上の感情』(あるがけうえのかんじょう)は、梶井基次郎短編小説。4章から成る。瞰下景の窓を覗くことに興味を持つ2人の青年の対話と心境を綴った物語。崖上から眼下に見える家々の窓の中で展開される生活情景と、見る自分と見られる自分という二重人格(自己分離)のテーマを融合した実験的な心理小説である[1][2]。人間世界の営みの哀歓を見つめ、「もののあはれ」の感慨を超えた「ある意力のある無常感」という厳粛な感情を抱くまでを描いている[3][4][5]同人誌活動をしている新人作家界隈で基次郎の存在感が高まり始めた頃の作品である[4][5][6]。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
発表経過

1928年(昭和3年)7月1日発行の同人雑誌『文藝都市』7月号に掲載された[7]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[7]。同書にはほかに17編の短編が収録されている[8]

翻訳版は、Stephen Dodd訳による英語(英題:Certain Feelings on a Cliff Top)で行われている[9]
あらすじ

山の手の或るカフェーの常連客の青年2人(生島、石田)が、お互いになんとなく顔見知りとなり、ある蒸し暑い夏の夜に一緒に飲み交わすようになった。ビールでかなり酔っていた生島は、社会に住みつく根のない浮草のような自分が、独り崖上に立ち家々の窓を見つめることを自身の運命だと言い出し、窓の眺めというもの自体が元来そんな思いにさせる要素があるんじゃないかと、石田に訊ねた。

聞き手の石田は、その考えを解からなくもないとしながらも生島とは逆に、窓の中の人間を見ていると、その人達が「はかない運命を持ってこの浮世に生きている」と感じると答えた。生島は大いにそれに同調して感心すると、人の窓を見るのが好きな自分自身も窓から誰かに見られたい気持があることを語り始めた。

生島の住む部屋は崖の下にあり、生島は時々崖上の路を通る人が自分と同じように瞰下景を見ていないかを確認することがあった。自分が他人のベッドシーンを覗き見たいという気持があることを石田に告白した生島は、崖上からそれを探すため瞰下景を見ている時に、誰かが背後に忍び寄って来る恐怖の気配を感じつつも、それに勝る或る魅惑的な状態になることを説明した。

それは、実際にベッドシーンを目にするかどうかより、その光景を待ち望みながら空想している恍惚状態が実は全てであるということで、生島は話し終わると、「の空なる恍惚万歳だ。この愉快な人生にプロジッドしよう」と、石田のグラスに乾杯の合図をした[注釈 1]。生島はさっそく石田を崖上へ誘ったが、石田は曖昧に笑うだけなので、その崖路への地図を書いて渡しておいた。

生島は、間借りしている家の寡婦とお互いに何の愛情もない身体だけの関係を持っていた。そんな倦怠的で空想の満足のない性交に嫌悪感を覚えつつも、大学を卒業しても就職口のない生島はその下宿を出るわけにもいかず、無気力な日々を送っていた。生島は自分と寡婦が寝床を共にしている醜い現実を窓に晒し、崖上から誰かに覗かれることによって陶酔の刺激を感じるだろうと思っていた。

ある晩、石田は散歩の足を延ばして、生島から教えられた坂の多い町の崖上の路にやって来た。石田は旅情のようなものをかすかに感じながら瞰下景に見える庶民の窓の中の情景を眺めた。運動シャツ姿でミシンを踏んでいる洗濯屋らしき男や、レシーバーを耳に当ててラジオを聴いている男などが見えた。長屋の窓々では、ぼんやり手すりにもたれている男の隣の部屋の壁際に仏壇が見え、それぞれの部屋を区切る壁が果敢なく悲しいものに思えた。

石田はふと、故郷の田舎で見た商人宿の窓で、朝の出立前の50歳くらいの男と4歳くらいの男児が向かい合って侘しく朝餉を食べていた光景を思い出し、その落ちぶれた風情の親と、幼心に「諦めなければならない運命」を知っているような子供の様子に涙を催しそうになった過去の情景を反芻した。それは石田が、人間がみな果敢ない運命を背負って浮世に生きているように感じたきっかけだった。

生島は、下宿部屋の窓から崖上の路を見つめ、カフェーで話し込んだ青年(石田)らしき人影が今晩も来ていることを確認した。生島は、「あれは俺の空想が立たせた人影だ。俺と同じ欲望で崖の上へ立つようになった俺の二重人格だ」とつぶやき、その光景の状況に暗い魅惑を感じながら、「戦慄と恍惚」を期待していた。

石田はある晩、何度か通った崖上から洋風家屋の産婦人科の窓を眺めていた。その窓の一つに、数人の人々が寝台を囲んでじっと立っている光景があった。そして、他の家々に目を転じると、カフェーで会った青年(生島)の話から密かに待望していたベッドシーンの窓を発見し、突然鼓動を覚えた。

しかし、再び先ほど病院の窓に目を移すと、人々の振舞いから寝台の者が死んだことが解かり、石田は強い衝撃を受けた。そして、また例の男女の窓を見た時にはもう元のような興奮の感情は起きず、そうした人間の営みの喜びや悲しみを超絶した「ある厳粛な感情」を感じた。それは以前の石田が漠然と持っていた「もののあはれ」の気持を超えた「ある意力のある無常感」であった。

ふと石田は、古代ギリシャ人が死者の石棺の表に、淫らな戯れをする人や、牧羊神が牝羊と交合している姿を彫りつけた習慣の風情を思った[注釈 2]。そして今見た窓々の光景に思いを馳せ、「彼等は知らない。病院の窓の人びとは、崖下の窓を。崖下の窓の人びとは、病院の窓を。そして崖の上にこんな感情のあること」と呟く。
登場人物
生島
山の手の町のカフェーに通っている青年。同じ常連客の石田と親しく言葉を交わすようになる。以前、友人に手相を見てもらい、「君の手にはソロモン十字架がある」、「放浪、家をなさないという質に生れついている」と言われて傷ついたことがある[注釈 3]。大学を卒業したが就職先が見つからずに無為の生活をしている。山の手の崖下の家に間借りし、その家主の「小母さん」(寡婦)と愛情のない肉体関係を続けている。そんな彼女との倦怠的な関係に自己嫌悪を感じ、自分の顔貌に何か嫌な相が現れ、誰かに自分の陥っている地獄が気づかれそうな不安を抱いている。
石田
生島の話に穏やかな表情で耳を傾けるが、ジャズが大嫌いで、店の蓄音機で流れる「キャラバン」のレコードを止めさせる[注釈 4]。ヨーロッパに行った日本人旅行者がウィーンの宿から見た夜景で、とある窓にベッドに横たわる裸体の男女の姿を見つけたという小説の一場面の話をする。生島から崖上の路へ誘われ、そこへの略地図を渡される。生島と同じく山の手に住んでいるが、崖の付近の町の風景は初めて見る。
百合
カフェーのウェイトレス断髪で薄い夏服の洋装だがフレッシュなところが無く、むしろ「南京の匂いがしそうな汚いエキゾティズム」が漂う娘[注釈 5]。そのカフェーは付近に多く住む下等な西洋人がよくやって来て、そんな店の雰囲気を象徴しているような娘。外人客が来ると生き生きと大仰な表情に変化し、媚びを売る時にわざと使うカタコトの日本語の喋り方には変な魅力を出る。
カフェーの外人客
ポーリンとシマノフという名前の西洋人2人。生島と石田が飲んでいる時に店にやって来て、隣のテーブルに座る。彼らは生島らには一瞥もなく、お互い見交わすわけでもなく、ずっと百合の方に向って笑顔を作っている。
小母さん
生島の下宿の家主。40歳を過ぎた寡婦(未亡人)。夫と死別し子供も無く、どこか諦めた静けさがある。生島と肉体関係を持った後も変らぬ態度で、冷淡かつ親切で接し、特別な男女の愛情も起こさずに平気でいる。
作品背景

※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
捨て身の短い再上京

梶井基次郎は、約1年半の伊豆湯ヶ島での転地療養でも結核が好転することはなかった。


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