ある女の詩
[Wikipedia|▼Menu]

「ある女の詩」
美空ひばりシングル
A面ある女の詩
B面思い出の鞄
リリース1972年11月10日
録音1972年1月7日(A面)[1]
1972年9月25日(B面)[1]
ジャンル歌謡曲
レーベル日本コロムビア
作詞・作曲A面:藤田まさと(作詞)
井上かつお(作曲)[1]
B面:保富康午(作詞)
かとう哲也(作曲)[1]
美空ひばり シングル 年表


(1972年)ある女の詩
(1972年)花と龍
(1973年)


テンプレートを表示

「ある女の詩」(あるおんなのうた)は、美空ひばりシングル1972年11月10日日本コロムビアから発売された[1]
解説

同年の『
第23回NHK紅白歌合戦』では10年連続トリ、13回目の大トリ[2]を務めたが、その時の歌唱曲がA面「ある女の詩」である。紅組は見事優勝し、平均視聴率は80.6%(関東地区ビデオリサーチ社調べ)で、紅白史上第2位(関東地区の歴代視聴率2位)の視聴率を記録した。1973年は実弟の不祥事により出演者発表前に出場辞退を宣言したため、特別出演した1979年を除くと、同曲がひばり最後の紅白歌唱曲となった。

同年12月25日にはオリジナル・アルバム「美空ひばり ある女の詩」が発売され、 1976年には菅原文太主演の映画『バカ政ホラ政トッパ政』の主題歌となり、話題となった[3]

B面「思い出の鞄」はニッポン放送『美空ひばりストーリー』主題歌で、実弟のかとう哲也が作曲している。歌詞は「思い出を鞄につめて旅に出よう、歌を歌うために」という内容であり、少女歌手時代から苦労して歌い続けてきたひばりだからこそ、聴く者の心に刺さる歌になっている[4]

収録曲
ある女の詩作詞:
藤田まさと/作曲:井上かつお/編曲:青木望

思い出の鞄作詞:保富康午/作曲:かとう哲也/編曲:佐々永治

アルバム「美空ひばり ある女の詩」(1972年12月25日発売)
ある女の詩



ふるさとの駅

あの子の手紙

ある母に送る手紙?青葉の笛(
文部省唱歌)入り?



思い出の鞄

急行青森行き

旅人

新しい笛

ひばり仁義

浪曲渡り鳥

脚注^ a b c d e美空ひばり公式ウェブサイト「ある女の詩」(SAS-1648-A)「思い出の鞄」(SAS-1648-B)
^主な管理楽曲《演歌・歌謡曲》|コロムビアソングス株式会社
^ バカ政ホラ政トッパ政 - 東映ビデオ株式会社
^ 愛しのレコードジャケット <昭和歌謡界の女王・美空ひばり>#2 - うたびと

関連項目

1972年の音楽










美空ひばり
主なシングル

河童ブギウギ

悲しき口笛

青空天使

東京キッド

越後獅子の唄

私は街の子

ひばりの花売娘

あの丘越えて

リンゴ追分

お祭りマンボ

馬っこ先生/津軽のふるさと

ひばりのマドロスさん

三味線マドロス

波止場だよ、お父つぁん

鼻歌マドロス

初恋マドロス

港町十三番地

長崎の蝶々さん

花笠道中

御存じ弁天小僧

哀愁波止場

ひばりのドドンパ/車屋さん

ひばりの渡り鳥だよ

ひばりの佐渡情話

恋の曼珠沙華

哀愁出船



笑顔と涙の遠い道



夾竹桃の咲く頃

悲しい酒

真赤な太陽

芸道一代

チロリン節

むらさきの夜明け

熱祷 (いのり)

別れてもありがとう

花と炎/人生一路

人生将棋

それでも私は生きている

旅人

ひばり仁義

ある女の詩

一本の鉛筆

ひとりぼっち

月の夜汽車

白い勲章

ふるさと太鼓

雑草の歌

さくらの唄

あやとり

なつかしい場面

海にむかう母/ひとり旅?リンゴ追分?入り

最後の一本

風酒場

子ども会音頭

おまえに惚れた


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef