あやしいわーるど
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あやしいわーるどのイメージ図

あやしいわーるど(Strange World)は、1990年代後半から2000年代初頭にかけて日本最大の規模を誇った[1]インターネット (World Wide Web) 上のアンダーグラウンドサイト群。サービス利用登録が必要で閉鎖的な交流が行われるパソコン通信の掲示板とは違い、インターネット上に開放的に構築されたアンダーグラウンドな社交場の嚆矢とされる。

当初の開設者は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}芝雅之[要出典](ハンドルはしば)[注 1]。ぁゃιぃわーるど[注 2]と表記される事も多い[2]

元々は1996年8月21日に開設され、1998年9月3日に閉鎖された芝雅之の管理するインターネット掲示板であったが、閉鎖後にその文化や様式を受け継いだサイト群をも指す。

しばのみが管理者を務めていた初期は単一のサイトに過ぎなかったが、その引退後はお互いに顔を知らない複数の管理者により、既存のあやしいわーるどの様式を独自解釈した掲示板やチャット、ウェブサイトが多数設立され、次第に自律分散的なネットワーク[要曖昧さ回避]構造に移行した。そのため、全体を統括する管理者は存在せず、あやしいわーるど界隈(ぁ界)の全容を把握することは容易ではない。
概要

あやしいわーるどは主として複数の電子掲示板から成り立っており、多くは背景色が深緑色、文字色が白色という、黒板を模した見た目を踏襲している[3]。取り扱われる話題は、一般社会では忌避されるアンダーグラウンド的なネタ[注 3]を中心として、さまざまな分野にわたっている。個々の掲示板を開設した者はいるものの、全体を統括する管理者というものは存在しない。初代掲示板の管理人であるしばでさえその全容は把握していなかったといわれ、しばが管理人を辞め掲示板が乱立するようになった後の全てを把握するのは困難である。[要出典]

メインと呼ばれる交流の中心になる場では、単一の掲示板に同時に様々な話題の書き込みが行われ、常駐型の社交場として機能しており、一般人が気軽に足を踏み込めない雰囲気がある[2]。場に常駐する人間=あやしいわーるど掲示板に住んでいる人間、という発想から、常連の参加者はあやしいわーるど住民(住人・ぁ民)と呼ばれる。

1998年9月3日、カリスマ的存在であった[2]初代掲示板の創設者にして管理人であるしばがあやしいわーるどを閉鎖した際に大量の難民が発生し[4]、直後の9月6日にスレッドフロート型掲示板を実装したあめぞうなどに流出して、参加者があやしいの文化を外部へ伝えた[1][5]。 その後、その文化はあめぞうから2ちゃんねるへ受け継がれたため、2chの初期の文化はあやしいわーるどの影響を受けている面が多々ある[注 4]。例えば、ギコ猫の図案はあやしいわーるどで生まれたものであり[6]、「ヒッキー」などもあやしいわーるど発である[7]。それも含めて、ドキュンなど日本のインターネットスラングは、あやしいわーるどが発祥であるものが少なくない[8]
狭義のあやしいわーるど
誕生の経緯

1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こってしばらくすると、それを題材にした『霞ヶ関』という不謹慎ゲームが草の根BBSの一部に出回った。これを朝日新聞(1995年10月26日夕刊)が取り上げたことで大勢の人間を惹き付けることとなったが、パソコン通信大手であったNIFTYなどではゲームを入手できなかったため、それを求める声が続出した。たまたまそのゲームを所有していたしばは、求めに応じて何度かアップロードしていたが、すぐに事務局側に消去され、終いには警告メールまで送りつけられてしまう。そこで事務局が関与できない場で配布しようと起ち上げたのが「あやしいワールド」であった[注 5][注 6]

狭義のあやしいわーるどは、これに始まるしばが管理人を務めた時代の掲示板を言う[9]。原理主義的立場では、この時代にのみアンダーグラウンドに相応しい社交が成立したとされるが、何を以て正統とするか、「真の」あやしいわーるどは終わったかどうかについての意見は分かれ[10][注 7]、「おまえが心の中で思うかぎり、あやしいは存在しつづけるヽ(´ー`)ノ」との言葉が合意を得るのみである[11][13]
広義のあやしいわーるど

広義のあやしいわーるどは、1998年の閉鎖後に乱立した掲示板群、さらにそれ以外にもさまざまなあやしいの名を冠したコミュニティを包含する。主なものとしては、iRC(あやしいわーるど@iRC)やメーリングリストがあげられるが、基本的にあやしいブランドは誰でも自由に使用できるため、さまざまな人が「あやしい」の名のもとにコミュニティを開設・運営している。サイトの運営方針に関する規約も無く「あやしいわーるど」というブランド名の使用が許可されているため、多種多様な解釈により時代に合わせた文化的な発展を続けているとも、コミュニティとしての整合性を失い実質的には解体されてしまったとも言えるが、あやしいわーるどに参加する者の捉え方は様々である。[独自研究?]

あやしいの名を冠する共同体の最大の特徴は、規律がないことである。掲示板に限らず日本のインターネット上の交流の場では、投稿の作法から始まって言葉遣いにいたるまで多種多様な規則・制約をユーザー同士で制定し、それをお互いに遵守すること自体が共同体の目的のひとつとなっているが[注 8]、あやしいわーるどでは基本的にそのような制約は存在せず、煽り、騙りといった通常禁止ないし忌避されることも平然と行われ、各自が好き勝手に動いている。

しかし、あやしい全体を統括する明示的な規則がない一方、それぞれの場においては、管理人、固定ハンドルに代表される古参参加者により、振る舞いに対する暗黙の掟が課せられており[注 9]、これに反した場合、よくて無視、でなければ厳しい批難の対象となった。仮にそれが管理人であった場合、板によっては書き込みもしくは閲覧自体を禁止されることもある[注 10]。このような場特有の文化を踏まえるために、参加者には半年ROMが推奨され、それを終えた後もハンドルネームを記入しない空白での参加が一般的である[14]
衰退

かつては掲示板がネットにおける交流の主体だったが、SNSの隆盛もあり、2000年前後の最盛期と比較して利用者数が大幅に減少している。2010年代に入っても新規サイトが開設されてはいるものの、その数は最盛期と比べて極めて少なく、既存サイトも管理者不在による閉鎖が増えており、全体として縮小傾向にあるとは言える。
掲示板の形態

設立当初はNIFTY-Serveホームパーティ、続いてインターネットに進出してからはデジタルエデン・県人会など既存の掲示板提供サイトを利用していた[注 11]。莫大な書き込みが行われるあやしいわーるどが負担となったこともあり[注 12]それらは閉鎖し、その後1997年にレンタルサーバーにネットサーフレスキュー[注 13]のMinibbs(Ver.3)を改造したものを設置して独自運営をするようになる[注 14]。スレッドがないため基本的に投稿画面が1つしかなく、複数の話題を同時に進行する事は難しい[15]

あまり拡張性を意識せずに設計された元スクリプトへ引用付き返答機能や荒らし防止機能などを追加して次第に重くなり、1998年から2000年頃にかけて独自に開発され、荒らしとの抗争の中で発展したくずはすくりぷとが登場して以降は、それが事実上の標準と化した。いずれにせよ基本的な形態は踏襲されている[16][3]

メイン掲示板は、その仕様上すべての話題が同じ場所に投稿され、全ての参加者が閲覧、反応することになるため流れが早く、さまざまな話題を時間を掛けて扱うことは困難であるため、小規模な共同体を円滑に開設し、運営、活動、消滅できるように@りみくす(Remix)と いう掲示板作成システムが開発され、広く利用されるようになった。REMIXは掲示板参加者が好きなトピック(話題)ごとに掲示板を自由に作成でき、書き込みが増えれば常時REMIX上で閲覧できるが、人気がない板はやがて消滅するという、トピック形式による掲示板のシステムをあやしいわーるどに応用したものである[注 15]

あやしいわーるど@ストロベリーにおいては、あやしいわーるど@暫定 (暫定退避)で実装されたツリー形式の表示が行われている。ツリー自体はあらゆる位置から「伸ばす」ことができるようになっているので、複数の話題が展開しても会話の流れが簡単に把握できる。
文化
あやしいわーるどにおける感情表現

あやしいわーるどでは、半角カタカナや機種依存文字と並んで「ヽ(´ー`)ノ」の様な特定の顔文字が多用される。喜怒哀楽の喜・楽に属する投稿には必ずと言って良いほど、文末で用いられてきた。近年行われたログサルベージの結果、1995年8月26日センターネットという草の根BBSの「ゲストさん一言2号館」へ書き込まれたヽ( ´ー`)ノ が発祥と考えられている。 その翌月から出現したゲストのハンドル名「あれれ」が複数回用いている事などから、最初の書き込み主は彼ではないかと推測されるが、もはや立証する手段はない。[独自研究?]

尚、2008年現在では「ヽ(´ー`)ノ」ではなく「(;´Д`)」の使用率がもっとも高くなっている。[注 16][要出典]
あやしいわーるどのソウルフード

外食チェーンである餃子の王将があやしいわーるど住人共通のソウルフードとなっていることに異を唱える者はあまり居ない。2000年ごろからあやしいわーるどIIを中心に盛んに話題となる。深夜帯など、低調時(投稿が少ない状態)には「将」「王」「の」「子」「餃」といった文字を順番に一文字ずつ投稿し、本人の投稿のみでこれが連続するとミッション完了という余興も存在する。さらに忘れてはならないのが、あやしいわーるど公式スナックとして名高いキャベツ太郎(通称:キャベシ太郎)である。良心的な値段・質・量、コミカルなキャラクター、駄菓子の持つサブカル的雰囲気などが相まってネタとしての魅力を引き立たせ、爆発的な人気を呼んだ。あやしいわーるど内のネタ投稿としてはもちろんのこと、写真をアップロードするときにも、ネタのアクセントとして被写体に含まれることも多い。[要出典]
2ちゃんねるとの確執
抗争

2ちゃんねるはアンダーグラウンドな匿名掲示板への参加障壁をさらにひき下げ、新規参加者が入り込みやすい構造になっていたが、2000年5月3日に2ちゃんねるを利用していた少年による西鉄バスジャック事件が起きマスメディアで大々的に報道されたことで、ネット文化や歴史に詳しくない大量の新参が流入し、アングラ掲示板文化に染まるという流れができた[注 17]。結果、ギコ猫など、あやしいわーるど発祥[注 18]のマスコットや各種アスキーアートスラング、半年ROMといった掟などを2ちゃんねる発祥だと誤解する者が多くなり、2000年8月、あやしいわーるどがそれらをパクッて使用していると思い込む者たちにより、2ちゃんねるのハッククラック板にあやしいわーるどを攻撃しようという内容のスレッドが立てられ、実際にあやしいわーるど系掲示板に対する無差別な荒らし行為が行われた。


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