あなた_(小坂明子の曲)
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「あなた」
小坂明子シングル
初出アルバム『あなた / 小坂明子の世界』
B面青春の愛
リリース1973年12月21日
1988年8月25日(再発・8cmCD
規格7インチシングル盤
ジャンルフォークソング
時間429
レーベルelektra
作詞・作曲小坂明子
ゴールドディスク


第4回世界歌謡祭・グランプリ

チャート最高順位

週間1位(オリコン

1974年度年間2位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング56位

小坂明子 シングル 年表

あなた
(1973年)もう一度
(1974年)


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「あなた」は、小坂明子デビューシングル1973年12月21日発売。発売元はワーナー・パイオニア
解説

小坂は16歳にして1973年の第6回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場し、ピアノを弾きながらこの曲を歌唱してグランプリを獲得した。同年11月には第4回世界歌謡祭にて最優秀賞・グランプリを受賞する。同年年末にレコードリリースされ、オリコン集計で約160万枚、発売元のワーナーによる発表では200万枚を超える売り上げを記録した[注 1]1968年から調査の始まったオリコンによれば、12曲目にして、初の女性作曲家によるミリオンセラーシングルである。

本作は合歓の郷に来る新婚カップルに「お祝い」として配るためのソノシート用のレコーディングであった[2]

また、本作はポプコン版(山室紘一[3])、レコード版・世界歌謡祭版(共に宮川泰)とでは編曲が異なる。レコード版のイントロを聴いた小坂は「これは私の作曲のイメージとは違います。もっとスタンダードジャズのようにおごそかな静かなイメージで世界歌謡祭はアレンジを変えて下さい」と依頼している[2]。世界歌謡祭にて披露された演奏は録音され、2003年3月26日発売の「ポプコン・スーパー・セレクション 小坂明子ベスト」にてCD化され、そちらで聴くことができる。因みに世界歌謡祭版ISRCはJPT200390005、レコード版ISRCはJPWP07300720である[4]。また、ポプコン版の音源は現存しない。

小坂本人の話によれば、この曲の詞は高校2年生の時、学校で授業中にノートの片隅に20分ほどで書き、家で曲を付けたものだったという。小坂が元々ガロのファンで、「歌ってくれたら、逢えるかも知れない」と思い、ガロに歌ってもらいたくて作曲[注 2]、最初から3部合唱の予定の曲で、ポプコンにも3人でエントリーしたが、本戦出場前になって他の2人が出場出来なくなったために急遽、小坂がソロで歌ったというものだった[5][6]

「あなた」のモデルは高校の1つ上の先輩で、お茶を飲んで美術館に行くような淡い恋だった。しかし、先輩が高校を卒業後に地元を離れることになり、先輩から「もっと好きにならないうちに別れよう」と言われ別れることになった。歌詞は「家を建てるなら」ではなく「建てたなら」と過去形になっており、「全部それは過去の夢だった、終わった恋だということを、あの歌詞で表現したかったんです」と語っている。歌詞の「真赤なバラ」は小坂の好きな花、「白いパンジー」は先輩の好きな花だった[7][8]

デビュー曲にして、発売から1ヵ月後にはオリコンシングルチャートで7週にわたり1位を獲得。1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』に出場、父・小坂務と親子共演した(小坂務は指揮[注 3]。オリコン集計で、女性ソロ売上としては当時1位であった[注 4]2007年現在でもオリコンの歴代シングルチャートで51位、女性シンガーソングライターのシングルとしては6位の売上である。しかし小坂は次作以降目立ったヒットを出しておらず、また本人が子育て中に声帯を傷めて以前のような声が出なくなったこともあり、現在は実質的に作曲家に転向しており、「一発屋」と見られてしまうこともある[注 5][注 6]

小西良太郎は「田中政権下で夢のまた夢になったマイホームの夢を、上手く組み立て直した」と評価した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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