あなたのワイドショー
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あなたのワイドショー
ジャンル
ワイドショー
出演者石橋エータロー(月曜日・前期)
土居まさる(月曜日・後期)
はかま満緒徳光和夫(火曜日 - 木曜日・前期)
近江俊郎(火曜日・後期)
大沢嘉子、円山雅也(水曜日・後期)
木元教子高松しげお(木曜日・後期)
E・H・エリック(金曜日・前期)
田中浩(金曜日・後期)
製作
プロデューサー細野邦彦
制作日本テレビ

放送
放送国・地域 日本
放送期間1972年4月3日 - 1977年4月1日
放送時間平日 9:30 - 10:55
放送枠日本テレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分85分
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『あなたのワイドショー』は、1972年4月3日から1977年4月1日まで日本テレビ系列局で放送された日本テレビ製作のワイドショーである。放送時間は平日9:30 - 10:55 (JST) 。
概要

日本テレビの朝のワイドショー第4弾で、『朝のワイドショー ○○と90分』(○○には司会者名が入る)以来の芸能人の日替わり司会となった。そして、後の『ルックルックこんにちは』まで続き、『テレビ三面記事 ウィークエンダー』というタイトルでプライムタイムでも平行放送されるようになった「テレビ三面記事」がこの時期にスタートした。
プロデューサー 

細野邦彦 [1]

司会
前期

いずれも1973年3月末で降板。

石橋エータロー(元ハナ肇とクレージーキャッツ) - 月曜日担当。

はかま満緒 - 火曜日・水曜日・木曜日担当。

柴田美保子 - 火曜日・水曜日・木曜日担当。

徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー) - 火曜日・水曜日・木曜日担当。

E・H・エリック - 金曜日担当。

後期

加藤精三(1973年4月 - 12月)→土居まさる(1974年1月 - 終了まで) - 月曜日担当。

芥川麻実子(1973年4月 - 12月) - 月曜日担当。

藤本義一 (1973年4月 - 1975年3月)→ 近江俊郎(1975年4月 - 終了まで) - 火曜日担当。

大沢嘉子 (1973年4月 - 終了まで)- 水曜日担当。

円山雅也(弁護士、1973年4月 - 終了まで) - 水曜日担当。

木元教子 - (1973年4月 - 終了まで)木曜日担当。

高松しげお(元晴乃チック・タックのタック、1973年4月 - 終了まで) - 木曜日担当。

田中浩 (1973年4月 - 終了まで)- 金曜日担当。

エピソード
番組内のやらせインタビュー

1975年(昭和50年)12月2日放送のスト権ストに関するコーナー「違法ストにもの申す」に登場するインタビューが社外スタッフによるサクラ行為であることが労働組合の調査で発覚する[2]
生放送中に掛け軸の目が開く

1976年(昭和51年)8月20日放送の番組内コーナー「テレビ三面記事」で青森県弘前市にある正伝寺に所蔵されている「渡邊金三郎断首図」を紹介したところ、掛け軸に描かれた生首の目が放送中に動いたという問い合わせが殺到した。スタジオでは、掛け軸を事前に撮影した35ミリのカラースライドが用意され、テレビでそれを写したところ、放送後掛け軸に描かれた閉じていたはずの目玉が開いていたという視聴者からの電話がきたという。この事件は当時、大きな話題になり1976年8月24日の読売新聞にも記事が組まれたほか、現在でもバラエティ番組などで紹介されることがある。[3][4]
脚注[脚注の使い方]^ 読売新聞朝刊 1976年1月4日より。開始直後は木曜日と金曜日のみを担当。金曜日の「テレビ三面記事」のヒットで、平日のプロデューサーに昇進する。
^ 「放送デスクメモ('75・十二月)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第103号、日本マスコミ市民会議、1976年6月1日、59 - 60頁、NDLJP:3463764/31。 
^ 【放送事故伝説】幽霊の仕業……?掛け軸に描かれた生首の目が開いた!(exciteニュース)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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