あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭
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全日本歌謡音楽祭
最末期に使用されていた日本武道館
受賞対象最も活躍した歌手
会場

日劇(1970年代)

中野サンプラザ(1981-84)

日本武道館(1985-90)

日本
主催NETテレビ

全国朝日放送
朝日放送名古屋テレビ放送他系列局
初回1975年
最新回1990年

全日本歌謡音楽祭(ぜんにほんかようおんがくさい)は、1975年から1990年までテレビ朝日(旧:NETテレビ)およびテレビ朝日系列局の主催により開催された、日本の音楽祭、音楽番組である。後援は朝日新聞社
概要

1975年10月、『あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 輝け! ゴールデングランプリ』と題し、第1回授賞式がコンテスト形式で開催された。

各賞はANNフルネット局(開始年からANNの関西圏は朝日放送)の視聴者からの投票により授与された。

同音楽祭のテーマ曲には小川寛興が担当。入賞者発表は東京會舘(1981年・1982年)、赤坂プリンスホテル(1980年・1984年・1985年)で、決戦大会の会場は日劇(1979年まで)、郵便貯金ホール(1980年のみ)、中野サンプラザ(1981年 - 1984年)、日本武道館(1985年以降)であった。

1985年からは審査員による審査方式へ変更になり、『全日本歌謡音楽祭』と改題され、会場も武道館へと変更した。

平成に入ると、音楽祭に対する考えの変化から、音楽賞に左右されない音楽活動を行うアーティストが増加、それに比例してノミネートを辞退するアーティストも増加していく。このため『日本歌謡大賞』や『日本テレビ音楽祭』、『FNS歌謡祭音楽大賞』、『メガロポリス歌謡祭』など、放送局主導による音楽祭の廃止が相次ぐ中、この『全日本歌謡音楽祭』も、1990年(第16回)で終了した。

その後は1991年11月6日に『水曜特バン! 特別企画!夢の音楽祭 今夜歌手267名生出演 史上最大の感謝祭』(司会はタモリ生島ヒロシ笑福亭鶴瓶研ナオコ)というタイトルで賞レースの要素を撤廃した生放送の音楽特番が放送され、1992年より『ミュージックステーションスーパーライブ』に引き継がれた。
発表形式

1984年までの「ゴールデングランプリ」の発表形式は従来の司会者などの受賞者の読み上げではなく、コンピューターで発表。男性司会者が「コンピューター スイッチ・オン!」とコールして、テレビ朝日のコンピューター室に居る男性アナウンサーがボタンを押した後、グランプリ・ノミネートの名前が全て出た後、ゴールデングランプリの受賞者を発表された。
表彰規定

第4回以前は不明
金賞
ゴールデングランプリの権利を持つ。(第6回から)、第5回まではグランプリ候補。
銀賞
最優秀新人賞の権利を持つ。(第5回・第10回から)、第4回までは新人賞候補、第6回から第9回は新人奨励賞も同様に最優秀新人賞の権利を持つ。
ゴールデングランプリ
金賞受賞者の中から、視聴者1万人の投票で最も多かったアーティストに授与。末期にはテレビ朝日系列の音楽番組での活躍が顕著で、且つ優秀な歌手に対して授与された。受賞者にゴールデントロフィーと賞金500万円が贈られた。
優秀新人賞
銀賞受賞者から、数組に授与。年によっては受賞者がない場合もあった。
最優秀新人賞
銀賞受賞者から、本年度にデビューした歌手を対象とし、視聴者投票の最も多かったアーティスト1組に授与。末期にはテレビ朝日系列の音楽番組での活躍が顕著で、且つ将来性が期待できる歌手1組(1984年のみ2組、「
エピソード」を参照)に対して授与された。受賞者に50万円が贈られる。
歴代受賞一覧

年(回)入賞発表決勝ゴールデングランプリ最優秀新人賞
1975年(第1回)10月1日12月10日
布施明シクラメンのかほり岩崎宏美
細川たかし
1976年(第2回)10月13日五木ひろしどこへ帰る新沼謙治
1977年(第3回)12月21日12月28日沢田研二勝手にしやがれ狩人
1978年(第4回)12月12日12月26日沢田研二「LOVE (抱きしめたい)渡辺真知子
1979年(第5回)10月23日11月13日西城秀樹勇気があれば倉田まり子
1980年(第6回)10月21日11月11日五木ひろし「ふたりの夜明け田原俊彦
1981年(第7回)10月13日10月28日寺尾聰ルビーの指環近藤真彦
1982年(第8回)10月12日10月26日五木ひろし契りシブがき隊
1983年(第9回)10月11日10月25日松田聖子ガラスの林檎THE GOOD-BYE
1984年(第10回)10月16日10月30日中森明菜十戒 (1984)吉川晃司
岡田有希子
1985年(第11回)10月29日11月12日近藤真彦大将芳本美代子
1986年(第12回)10月21日10月28日中森明菜「Fin少年隊
1987年(第13回)10月9日10月16日近藤真彦「泣いてみりゃいいじゃん酒井法子
1988年(第14回)昭和天皇の病状悪化により中止
1989年(第15回)10月13日光GENJI太陽がいっぱい田村英里子
マルシア
1990年(第16回)10月12日堀内孝雄恋唄綴り晴山さおり
忍者

歴代司会者一覧

開催年男性女性
1975年
田宮二郎うつみ宮土理
1976年森ミドリ
1977年夏目雅子
1978年川崎敬三若原瞳
1979年関口宏水沢アキ
1980年中井貴恵
1981年多岐川裕美
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年渡辺徹榊原郁恵
1988年中止
1989年生島ヒロシ
神田正輝東ちづる
1990年

エピソード

1975年(第1回)の予選は
東日本放送の開局日でもあり、開局記念番組としてテレビ朝日(当時:NETテレビ)スタジオと宮城県スポーツセンターとの2元生中継を行った。

1977年(第3回)ではピンク・レディーケイが病欠し、受賞曲である「ウォンテッド」のケイのパートを司会の田宮・夏目など出演歌手にリレーパートして披露した。

1984年(第10回)では優秀新人賞がなかったことが影響したことで、例年1組に贈られる最優秀新人賞がこの回のみ2組に贈られた。


概ねの放送回が火曜日に行われたが、1975年の入賞者発表と決勝、1981年の決勝は水曜日の『水曜スペシャル』枠(1975年の入賞者・決勝は84分枠)に、1987年以降は金曜日(『ミュージックステーション』枠。1987年の入賞者は19:30 - 20:54・決勝は19:00 - 20:54、1989年以降は19:00 - 21:48)で放送された。

1983年は入賞者発表と決勝はともに火曜日に放送されたが、入賞者発表は20:00 - 21:48、決勝は19:30 - 21:48に放送された。これは『ザ・ベストヒット'83』終了と『そーっと歌ってみよう』開始までのつなぎとして放送された。


スタッフ

構成:長須良一、小西たくま、内堀尚士

テーマ音楽:
小川寛興

音楽:若田部和幸、甲斐正人

編曲:伊藤辰雄、氏平光昭

演奏:原信夫とシャープス&フラッツ、豊岡豊とスイングフェイス、フラワーストリンクス

コーラス:APPLE、スカッシュ、ミンクス

振付:西条満、石村治樹、ボビィ、飯田暁子

踊り:スクールメイツ、フラワーエイト、ジャニーズJr.

美術・技術

美術:岡田道哉、板垣昭次

技術:服部弘一、板倉i、荒川純一、安保洋一、中村伴部

カメラ:辻井明、後藤賢

照明:辻井一義、高見光平

カラー調整:岡田研介、藤本一夫

音声:高橋正勝

大道具:(株)ムラヤマ

電飾:古磨電設

タイトル:盛合正典

コンピューター担当:青沼暎男

制作

T・K:宮本美智子

ディレクター:村居義弘、成田信夫

アシスタントプロデューサー:中村元一、斉藤由雄

演出:安藤仁、鈴木宏男、斉藤由雄、中村元一、山本清

総合演出:成田信夫

プロデューサー:土屋順二、湧口義輝、北村英一

プロデューサー→チーフプロデューサー:皇達也

関連項目

日本歌謡大賞放送音楽プロデューサー連盟:テレビ朝日、日本テレビフジテレビテレビ東京

ヤング歌謡大賞・新人グランプリ(朝日放送)

日本テレビ音楽祭(日本テレビ)

日本レコード大賞TBS、現在も継続)

日本有線大賞(フジテレビ→TBS)

FNS歌謡祭(フジテレビ) - 関口が1977年に司会を担当。

メガロポリス歌謡祭(テレビ東京)

ベスト30歌謡曲

ミュージックステーション - 現在も放送している音楽番組。関口は番組初期に司会を担当。

ミュージックステーションスーパーライブ - 事実上の後継番組。

ミュージックステーションウルトラFES










関口宏
現在放送中の番組

報道の日

関口宏の一番新しい中世史

過去に出演した番組



ステージ101

日清世界クイズ

東芝アラカルトサロン・しあわせの味

びっくり日本新記録

豪華!スター家族対抗初春ジャンボクイズ!

世界料理大賞

SEIKOグルメワールド 世界食べちゃうぞ!!

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