あだち充
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あだち みつるあだち 充
本名安達 充(読み同じ)
生誕 (1951-02-09)
1951年2月9日(73歳)
日本群馬県伊勢崎市
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1970年 -
ジャンル少年漫画
児童漫画
少女漫画
代表作『タッチ
みゆき
ナイン
陽あたり良好!
H2
クロスゲーム
MIX
受賞

第28回:小学館漫画賞少年少女部門(『みゆき』『タッチ』)

第54回:小学館漫画賞少年向け部門(『クロスゲーム』)

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あだち 充(あだち みつる、1951年2月9日[1] - )は、日本漫画家群馬県伊勢崎市出身[1]群馬県立前橋商業高等学校[1]血液型AB型[注 1]。本名は安達 充(読み同じ)。
来歴

群馬県伊勢崎市に生まれる。三男一女の末っ子であり、直近の兄で3歳半年上のあだち勉から甚だしい影響を受ける。少年時代はあだち勉とともに貸本漫画の読者投稿コーナーの常連だった。また、勉は高校在学中から貸本漫画で原稿料を得ており、充はその手伝いをしていたことから、貸本漫画業界で「群馬の天才兄弟」として知られる存在となる[2][3][4][5]

絵を仕事にする希望を持ち、地元では一番商業美術に力を入れていた群馬県立前橋商業高等学校の商業美術部に入部する。しかし、明確な展望はなく、両親の勧める通りに安定した職業へ就く可能性もあったという。在学中に『COM』の新人賞で「虫と少年」が佳作2位に選ばれ、以後『COM』の新人投稿ページにしばしば掲載されるようになる。当時は『COM』や『週刊少年マガジン』、貸本漫画などを愛読しており、永島慎二樹村みのりさいとう・たかをらのファンだった。

野球にはまだ人並みの関心しか持っておらず、スポーツ経験も中学時代の体操部としての活動程度しかなかった。野球に深く関わるようになったのは、『週刊少年サンデー』で水島新司と『男どアホウ甲子園』を連載していた佐々木守と組んで、商業漫画家として野球漫画を手掛けてからである[6]。後に熱心な野球ファンとなり、勉とともにビタミンA[注 2]という草野球チームを主宰するが、多忙のためあまり試合に参加できなかった[2][4][5][7][8]

プロの漫画家を目指す踏ん切りをつけられたのは、勉が永島慎二に会い、充をアシスタントに採用してもらう内定を取り付けてくれたことによる。東京のデザイン会社に就職していた勉は、自身が会社員を続けているのだから、弟が漫画家となることは認めるように両親を説得する(しかし、ほどなく会社を辞めて漫画家へ復帰。フジオ・プロ在籍を経て、後年は充のマネージャーとなる)。ところが、充が高校3年生の1968年に、永島慎二が突然の渡米。1969年初春、どうにか『COM』のツテで同誌にイラストを連載していた石井いさみのアシスタントに就職する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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