この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。
ラジオ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、CDなどでの販売や公式なアーカイブなど常に参照可能な状態のネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。
ほんま ちよこ
本間 千代子
『映画情報』1965年1月号(国際情報社)より
別名義あたらしかずよ
生年月日 (1945-01-29) 1945年1月29日(79歳)
出生地 日本・長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)
職業歌手、女優
ジャンルテレビドラマ、映画、レコード
配偶者ひのきしんじ
主な作品
歌
『若草の丘』
『愛しあうには早すぎて』
『白いボール』
映画
『君たちがいて僕がいた』
『十七才のこの胸に』
『あの雲に歌おう』
ドラマ
『太閤記』
受賞
第九回エランドール賞新人賞(1964年)
日本作詩大賞入賞(1978年)
テンプレートを表示
本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は、日本の歌手・女優。本名同じ[1]。長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)生まれ[2][3][4]、生後8ヵ月から[3]東京都杉並区高井戸育ち[3][4][5]。身長162cm、体重45kg、B83cm、W53cm、H84cm(1964年4月)[1]。夫は音楽プロデューサーのひのきしんじ。 父は日本銀行勤務で、二男二女の次女として[1][6]、戦時疎開先の長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)で生まれる[4]。本間家は佐渡本間氏の出で、現在の新潟県柏崎市で先祖代々地主を務めた[7]。また、酒田本間氏とも同族の関係になる[7]。終戦後の同年10月に東京都杉並区西荻窪に移り、近くの「かしの実幼稚園」に入る。そのころから歌に興味を持ち、NHK「うたのおばさん」として知られ、後に参議院議員を務めた安西愛子から童謡を習う。 杉並区立高井戸第四小学校に通うようになってからは「みすず児童合唱団」で歌の勉強を続ける。先生はやがて姉の夫となる当時高校3年生であった冨田勲(後にシンセサイザーアーティストとして著名)であった[8]。その後ポリドール児童合唱団に所属し、1951年(昭和26年)1月にはNHKから『けんけん小雉』『お菓子の汽車』が放送される(同合唱団には倍賞千恵子がいて、その後も交友が続く)。 小学校4年のとき杉並の杉並区立松庵小学校に転校。この頃から神奈川県横浜市鶴見区にあった「ひばり児童合唱団」に往復4時間かけて通うようになる(同合唱団には松島トモ子がいて,その後も友好を保つ)。合唱団団長の皆川和子に認められ、洗足池近くの氏の家で個人レッスンを受けるようになり(この頃に同学年の吉永小百合も個人レッスンを受けており、その後も友好を保つ)[1]、オペレッタ『みにくいあひるの子』に主演し松島トモ子主演『魔法の笛』にも出演する。小学校5年夏から[3]コロムビア専属の童謡歌手となる[3][4][6][9][10](コロムビアでは30数曲の童謡を吹き込む)。デビュー当時から、何かと吉永の対抗馬として扱われたが[6]、歌の世界では吉永より年期が入っている[6]。 1957年(昭和32年)、姉明子と同じ三鷹台にある立教女学院中等部に入学[4]。
来歴
生い立ち
歌手として
女優として
Size:107 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef