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出典検索?: "あしびきの山の雫に"
『あしびきの山の雫に』(あしびきのやまのしずくに)は、宝塚歌劇団のミュージカル作品。作・演出は柴田侑宏[1][2][3][4]。
7世紀の宮廷を舞台とした古代ロマン作品。 同じく柴田による「あかねさす紫の花」の姉妹編として書かれた作品で、更に柴田は「あしびきの…」に続く時代の作品「たまゆらの記」も執筆して、「あかねさす…」からの3部作のつもりで書いたと述べている。「あしびきの…」と「たまゆらの記」はそれぞれ別の作品ではあるが、以上に述べた作品の性質により、当項目では共に扱うこととする。 「あしびきの山の雫に」では壬申の乱や大津皇子の乱(686年)、「たまゆらの記」では長屋王の変(729年)と古代史上に名高い政治事件を物語に取り入れ、その周辺に息づく人物を描いているのが特徴となっている。 「あしびきの山の雫に」は1982年の月組作品。「たまゆらの記」は1988年雪組公演として初演、更に翌1989年雪組が出演者を入れ替えて地方公演している。 「あかねさす紫の花」(中大兄皇子・大海人皇子と額田女王の恋愛模様を描いた作品)の後の時代を描いた作品で、天武天皇となった大海人とその子、大津皇子が中心。 大海人皇子は皇位をめぐる壬申の乱に勝ち、天武帝として即位、天皇は鵜野皇后(後の持統天皇)と共に政治改革を進める。また天皇の後継者選びも課題となり、皇子たちのうち、文武に秀で、明るい性格の大津皇子に天皇は目をかけるが、鵜野は自分の子・草壁皇子(草壁と大津は異母兄弟)を皇太子にするため大津の大器ぶりに危機感を抱く。そんな中で大津は宮廷に仕える美少女・石川郎女(いしかわのいらつめ)と恋を語るなど、青春を謳歌していたが、天武天皇はやがて崩御、天皇の死後、草壁の地位を磐石にするため、鵜野は大津の排除を決意する…。
概要
あしびきの山の雫に
あらすじ
詳細
上演:1982年2月5日 - 3月16日[4][5](新人公演:3月5日[6])、宝塚大劇場。同年7月1日 - 7月27日[7][8](新人公演:7月21日[6])、東京宝塚劇場にて。伴演作はグランドショー『ジョリー・シャポー[4][5][7][8]』
宝塚の形式名は「万葉ロマン[4]」で15場[4]。
出演・天武帝:榛名由梨[6]/大津皇子:大地真央[6]/石川郎女:黒木瞳[6]/?野讃良:条はるき[6]/額田王:五條愛川
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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