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語源オナニーをする男性

オナニー(Onanie)の語源は、『旧約聖書』の創世記の叙述に由来する。創世記38章にオナンという名の男が登場する。彼は兄エルが早死にしたため、兄の代わりに子孫を残すべく兄嫁タマルと結婚させられた(逆縁結婚)。しかしオナンは兄のために子を残すことを嫌い、性交時は精液の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした(創世記38章9節)。しかしこの行為は主の意志に反するものとされ、オナンは兄と同様に主の意志によって殺された(同10節)、と聖書に書かれている。すなわちオナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーが使われるようになった。ちなみに、オナンが兄のために子を残すことを拒否したのは、兄嫁に子ができてしまうと父の遺産がその子のものになってしまうためであった。兄嫁に子ができなければ遺産は次男であるオナンのものとなるはずだったとも言われる。当時の掟(慣習よりも強制力があった)により言われていることだが、聖書にはそこまでのことは書いていない。一般には「血統維持」を強調した物語と理解されている。


歴史

この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください


非道徳性

西洋ではオナニーが聖書の説くところのにあたるかあたらないか、道徳的に許されるか許されないかなどが古来議論の的となってきた。

『旧約聖書』の神は「生めよ増やせよ地に満てよ」と人間に命じている。すなわち語源であるオナンの行為は神の意図に逆らう宗教的な反逆であるとされた。このようにユダヤ教キリスト教にあっては性交は生殖のために神から命ぜられた行為であると位置付けられている。そのため、生殖を目的としない行為であるオナニーは売春などと同様に神の命令に背く行為とされ[1]、非道徳的であり、にあたるとする伝統[2]があった。さらに夫婦間の性交にあっても、生殖を目的とせず快楽のためにもっぱら為される場合には宗教的罪悪感を伴うとされる。両宗教が支配的な文化では、涜神と性的快楽のイメージが強く結びついていることが他の文化との大きな違いのひとつとなっている。

近代のプロテスタント運動が高まった時期にも、オナニーの背徳性の教えが説かれた。

ただし、オナンの罪とは、正確には生殖を目的としない射精行為でも、無駄に精液を地に漏らしたことでもなく、古代社会のレビレート婚の掟を破り、兄の未亡人に子供を与えねばならぬ義務を果たさなかったことである[要出典]。おそらく時代の風潮にあわせて、オナンの罪の内実は、微妙に意味をすりかえられてきたのだろう。ゆえに、西洋の反オナニー言説を「宗教の産物」と短絡はできない。モッセによると、十八世紀以降の反オナニー言説はナショナリズムの産物である。事実、日本でも反オナニー言説は、少なくとも江戸期からあり、また、明治期には広く流布している(「日本におけるオナニーの歴史」の項参照)。


西洋における反オナニーの歴史

ジャン・スタンジェ、アンヌ・ファン・ネック共著の「自慰」(以下、スタンジェ著「自慰」)によると、17世紀以前にはオナニーを罪とみなす宗教者の言説はあるが、オナニーそのものへの言及はさほど多くない。大した問題だとはみなされていなかったようだ。フーコーによれば西洋では「固まりミルク」と称して村の少年たちが精液の飛ばし合いっこをしていた。またスタンジェ著「自慰」によれば、16、17世紀の主流をなしていたガレノス医学では、オナニーはむしろ奨励されていた。ただし宗教者の中では、例え健康のためであっても自然に反する行為であって許されない、という意見が主流であったという。

同書によると、反オナニーが一般に流布するきっかけになったのは、1715年の「オナニア」(著者匿名)という本の出版であった。この本は1730年に第15版が、1778年には第22版が出るほどよく売れた。「オナニア」は、オナニーの有害性を強調するとともに、著者が独占販売権を握るオナニー治療に効果的な薬の購入を呼びかけていることから、金儲けが同書刊行の目的だったと、スタンジェ、ネックは結論している。「オナニア」では道徳面以上に医学面での有害性が強調されていた。1760年頃には、ティソがDe Morbisex Manustuprationeを、1764年には「オナニスム」を出版する。 これは、ヨーロッパ中に名声を博していた臨床医による、医学面からの有害性を訴えた本であり、ドイツの哲学者カント[3]に影響を与え、またルターもこれを賞賛した。

モッセ著「ナショナリズムとセクシュアリティ―市民道徳とナチズム」によると、(反オナニーを含む)セクシュアリティ統制にはナショナリズムの台頭が影響している。十八世紀以降の西ヨーロッパ諸国(独英仏伊)では、下層階級からも貴族階級からも自らを差別化しようとする、中産階級の価値観、リスペクタビリティ(市民的価値観)が生まれる。十八世紀以降のナショナリズムは、この中産階級の作法や道徳を吸収し、全階級に広めた。その鍵になるのはセクシュアリティの統制であり、「男らしさの理想」である。ここにおいて、マスターベーションに耽るオナニストは顔面蒼白、目が落ち窪み、心身虚弱な人間と表象され、男らしい闘争や社会的達成という国民的ステレオタイプとは相容れないとされた。

反オナニーの波は、ジャック・デュシェ著、金塚貞文訳「オナニズムの歴史」によれば、18世紀のティソの著書によって引き起こされ19世紀に最高潮に達する。スタンジェ著「自慰」によれば、道徳面と同程度かそれ以上に医学面での有害性が強調された。原因不明の多くの疾患が、オナニーにより引き起こされるとみなされた(くる病、関節リューマチ、肺炎、慢性カタル、視覚・聴覚の衰えなどなど、主張する者によりまちまちではあるが)。デュシェ著「オナニズムの歴史」によれば、1939年にはカルノー医師により性教育面での言及が行われ、1968年を境に、社会的見解に変化が起こったと述べられている。 また同書によれば、1882年に、フランスの精神病医専門誌における「二人の少女の神経障害を伴ったオナニズムの症例」(括弧内訳、「オナニズムの歴史」での訳まま)というデミトリオス・ザムバコ医師の記事に、医学アカデミー会員のゲラン医師の示唆により、女性器を焼き鏝で焼却すると脅したことや、ゲラン医師が何人もの女性に、その焼却治療を施し結果を得ていたことが記されていたという。


日本における反オナニーの歴史

13世紀に編纂された『宇治拾遺物語』11話には、源大納言雅俊が僧に対して「かはつるみはいかが候べき」(オナニーはどう=過ちなのか?)と青い顔をして訪ねたところ、一同に大爆笑された、という記述がある。「過ちかもしれない」と考える意識と、それを「笑える」おおらかさが同居していたことが伺える。

江戸期の儒医学者・貝原益軒の『養生訓』(1713年)では、オナニーと性交を区別する記述はないが、精液を減損しないことが養生の基本とされ、性行為そのものを否定はしないが、過度に陥ることは害とされる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki