ja:戦争

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定義

戦争という概念国際法上の概念と軍事上の概念では差異があるため、区別して用いなければならない。

軍事的な観点から、戦争は軍事力の実質的な戦闘行動が実行されている状態を指す。その軍事力の主体はしばしば国家であるが、的な定義とは異なり、その実質的な能力を重視するため、国家ではなく武装勢力に対しても使用されている軍事力の規模によっては用いる場合がある。米軍では武力衝突のレベルを、比較的危機の程度が低く、平和維持活動や対テロ作戦などを展開する「紛争」と、比較的危機の程度が高く、大規模な武力行使を伴う戦闘作戦を展開する「戦争」と区別している。[2]また米軍は紛争を規模によって三段階に分類しており、その中の「高強度紛争」は伝統的な戦争のレベルに該当する。

国際法において、戦争の当事者は一般的に国家であると考えられており、伝統的な慣習国際法の観点からは宣戦布告によって始まり、講和によって終結するものであると考えられる。しかし、歴史上宣戦布告が行われず「実質戦争状態」に突入した事例が存在するため、現在ではこの形式は重要視されていない。また国家以外の武装集団間での武力衝突は、紛争と呼ばれ、たとえば民族間であれば「民族紛争」と呼ばれる。

ただし国家でない集団の対立にも「戦争」という語が用いられることはある。例えば、南北戦争において1861年イギリスが南軍に対して交戦団体承認を行っている。以下に具体的な例を挙げる。

内戦の当事者は一国内における政府と反逆者(反政府勢力や、革命などにより新政権樹立を目指す勢力・政治団体等も含まれる)である。厳密には国際法上の「戦争」ではない。ただし、既存政府側による交戦者承認があれば国際法上の戦争法規が適用される。

独立戦争の当事者は全体としての国家と部分としての地域植民地である。これは内戦の一種であるという見方と、独立しようとする勢力を暫定的に国家とみなして国家間の対立とする見方が可能である。ただし、現代においては国連憲章にも謳われている人民自決権の概念が国際社会の根本的な価値として認められたことからも、植民地支配及び外国による占領に対し並びに人種差別体制に対する武力紛争の場合は内戦(非国際武力紛争)ではなく国際的武力紛争として扱われる。これに伴い、国家間に適用される国際人道法ならびに戦争法規が適用されることになる。


歴史

詳細は軍事史を参照されたい。

戦争とは人間の攻撃あるいは防御行動の帰結による状態の一種であり、その影響は兵器や通信などの軍事技術の領域から国民国家や国際社会の形成にまで及ぶ。戦争は人類の全歴史を通じ、全地域において行われてきた。6000年以内の史料が残っている時代に限定したとしても、戦史家によれば戦争が起こった回数は15000回以上であると考えられている。[3]もっとも、その程度と頻度にはその政治的環境による有意な差がある。何をもって戦争の始まりとみなすかは諸説があり、定見とよべるものはない。


先史時代

文字記録が残っていない先史時代の戦争形態について正確に知ることはできないが、太古から紛争形態を受け継いでいるアフリカオセアニアの地域から、その形態を推察することができる。

ある文化での戦争形態は儀式的な側面が強く、ある集団の習慣などが他の集団により侵害された場合に自らの正当性を示すため、対立勢力が対峙する中で一騎打ちの形態で行われる。使用される武器も鉄製ではないため、死者が出ることはほとんどなく[要出典]、死者が出てしまった場合はすぐに除霊の儀式を受けなくてはいけない。このような方法で決着をつけるのには、いくつかの理由が存在する。まず小規模な集団同士の紛争となるため、全面的な対決となれば双方共に壊滅的な被害が生じることが考えられる。また紛争の争点となるものはしばしば領土の所有権をめぐるものであるため、敵を全滅させる必要性が存在しないことも理由としてある。したがって政治的または経済的な利益のために政策的に戦争を行うことは非常にまれであったと思われる[要出典]。


古代文明の戦争

古代において戦争は農業が発達していってからは人口が増加し、経済的な富が蓄えられ、国家体制が整えられていき、通信が整備された際に行われ、戦争の規模や軍事組織も拡大する。それぞれの文明は自己の安全を保障し、また自己の勢力を拡大するために闘争し、集団的利益のためには征服戦争すら行われた。

また土器石器から青銅器鉄器を利用した兵器武器の開発が進み、軍事力の能力が飛躍的に発展して大国化する国家が現れ始める。部族集団が都市国家へと成長し、ペルシアローマのような帝国に発展したのが例として挙げられる。またこの時代には科学技術が発達して、戦車(二輪)や投石器、弓矢などが新兵器として登場し、戦争の形態をかつての儀式形式から会戦という形態に移行していった。


中世ヨーロッパ

中世ヨーロッパにおいては儀式的な要素も根強く残っており、カトリック教会による世俗権力への政治的な統制は戦争の発生を抑制していた。ただし中世にも多くの軍人が存在し、また技術的には甲冑を装備した騎兵が有力であったが、たとえばイギリスプランタジネット朝フランスバロア朝による百年戦争は王位をめぐって長期間にわたってフランスにおいて行われたものの、フランス社会全体に作戦期間相応の壊滅的な被害をもたらすことはなく、断続的かつ散発的な戦闘が休戦を挟みながら行われていたのが実態であった。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki