坊主めくりと同様、首は読まず、読み札のみを使用し取り札は使用しない。4人で行い、全員に配られた札を向かい合った二人が協力して札をなくしていく。書かれた絵柄で、青冠、縦烏帽子、横烏帽子、矢五郎、坊主、姫となる。ただし、天智天皇と持統天皇は特殊で、天智天皇は全ての札に勝ち、また持統天皇は天智天皇以外に勝つ。絵の書いた人、時期によって、100枚のうちの絵柄の構成が変わるゲームである。
100枚の札を4人に全て配る
最初の人を決めそのひとが右隣の人に対して1枚手札から出す。
出された人は、同じ絵柄の札か、持統天皇、天智天皇の札を出して受ける(天智天皇はどの札もうけられないし、持統天皇は天智天皇のみでうけられる)。
受けることが出来た場合、受けた人が、右隣に1枚手札から出す。以下同様に続けていく。
受けることが出来なかった場合、何も出せずに右隣の人に順番が移る(最初に出した人の向かい側の人が出す)。
この手順をつづけ、最初に手札をなくした人のいるペアの勝ち。これを何回か行い勝敗を決める
小倉百人一首の影響を受けて後世に作られた百人一首。以下に代表的なものを挙げる。
新百人一首
足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉の54番・儀同三司母(高階貴子)と同一人物。また、『百人秀歌』に見える権中納言国信も64番に入首(百人秀歌とは別の歌)。
武家百人一首
17世紀半ばの成立と見られている。平安時代から室町時代にかけての武人による和歌を採録。寛文6年(1666年刊。榊原式部大輔忠次撰。また寛文12年(1672年)、菱川師宣の挿絵、和歌は東月南周の筆で再刊された。菱川師宣の署名した絵入り本の最初とされ、絵師菱川吉兵衛と署名された。
後撰百人一首
19世紀初頭に成立。二条良基著。勅撰集だけでなく、『続詞花集』などの私撰集からも採録しているのが特徴。
源氏百人一首
天保10年(1839年)刊。黒沢翁満編。『源氏物語』に登場する人物の和歌を採録しているが、その数は100人以上。肖像をいれ、人物略伝、和歌の略注をのせる。和歌は松軒由靖、絵は棔斉清福の筆。
女百人一首
嘉永4年(1851年)成立。平安・鎌倉期の女流歌人の和歌を採録。
愛国百人一首
第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)に選定・発表された。恋歌の多い小倉百人一首に代わって「愛国の精神が表現された」名歌を採録した。
関連項目ウィキソースに ⇒小倉百人一首の原文があります。ウィキメディア・コモンズには、 ⇒百人一首 に関連するマルチメディアがあります。
決まり字
競技かるた
小倉百人一首の歌人の一覧
小倉百人一首文化財団
全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会
現代学生百人一首
丸谷才一(『新々百人一首』を上梓)
林直道(百人一首の研究者、共通した札ごとに並べると風景をイメージさせる事に気づいた)
百人一首一夕話
時雨殿(小倉百人一首文化財団が運営するテーマパーク)
任天堂(かるたの製造及び時雨殿の支援)
五人一首
五色百人一首
愛国百人一首
音楽
『八重衣』(地歌・箏曲) 石川勾当作曲、八重崎検校箏手付。百人一首より衣を詠んだ歌五種を選び、四季の順に配した手事物 地歌の大曲。「石川の三つもの」(三大名曲)の一つ。
『千鳥の曲』(箏曲・胡弓曲) 吉沢検校作曲。後唄に「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に・・・」が採られている。「六段の調」と並ぶ箏の名曲として有名。
『State of mind』(邦楽) 倉木麻衣作詞、大野愛果作曲。歌詞の一部に「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ・・・」の歌が入っている。
小説
高田崇史『QED 百人一首の呪』講談社刊
山村美紗『百人一首殺人事件』講談社刊
漫画
まんてん いろは小町 小坂まりこ ちゃお2008年3月?5月
かるた 竹下けんじろう
ちはやふる 末次由紀 BE LOVEにて連載中(9月14日現在)