日本語の「宗教」という語は、幕末期にReligionの訳語が必要となって、今で言う「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まった、とされている。
原語のほうの英語 Religion は、ラテン語のreligioから派生したものである。religioは、「再び」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていた。[2]
磯前順一によれば[3]、Religionの語が最初に翻訳されたのは日米修好通商条約(1858年)においてであり、訳語には「宗旨」や「宗法」の語があてられた。他にも、それに続く幕末から明治初頭にかけての間に用いられた訳語として、「宗教」「宗門」「宗旨法教」「法教」「教門」「神道」「聖道」などが確認できるとする。この内、「宗旨」、「宗門」など宗教的な実践を含んだ語は、「教法」、「聖道」など、思想や教義の意味合いが強い語よりも一般に広く用いられており、それは多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであったことに対応する。「宗教」の語は実践よりも教義の意味合いが強い語だが、磯前の説ではそのような訳語が最終的に定着することになった背景には日本の西洋化の過程で行われた外交折衝や、エリート層や知識人の価値観の西欧化などがあるとされる。
「宗教」の語は、1869年にドイツ北部連邦との間に交わされた修好通商条約第4条に記されていたReligionsubungの訳語に選ばれたことから定着した、とされる。[4][5] また、多くの日本人によって「宗教」という語が 現在のように"宗教一般" の意味で用いられるようになったのは、1884年(明治17年)に出版された辞書『改定増補哲学字彙』(井上哲次郎)に掲載されてからだ、ともされている。
宗教の定義は後述のとおり使用される場合によって変わり、厳密な定義ができるものではないが、一般的な傾向は存在する。傾向として、次の諸点が指摘できる。
宗教組織としての傾向
信仰の対象および内容を規定した教義がある。
教義や戒律にともに従う信仰のための信者団体である教団がある。
信仰の証として守るべき禁止事項である戒律がある。
暦の中で位置付けられた年中行事や人生の過程で行う通過儀礼などの儀式を行う。
その宗教の特徴となる象徴 シンボル を持つ。
物事についての考え方
神かそれに類する、自分がよく知らず意のままにならない存在や力についての説明。 これは人格神と呼ばれるような、実在の人物や人間によく似た存在である場合や、自然の働きそのものである場合、運命・運・福・天罰など独特の抽象概念の場合もある。 こうした説明は、多くの場合「自然」が何であるかについての説明を含む。
祈りや儀式・儀礼など、こうした存在や力に働きかけて、物事が自分の望むように進むようにするための手段についての説明。多くの宗教では、こうした存在や力に対する畏敬の念を説いている。人間よりも何らかの意味で優れている存在、場合によっては全知全能の存在として、許しや慈悲や恵みを請う、あるいは願う場合も少なくない。これは、科学において、自然や物理法則を利用して物事を自分の思うままに進展させる際に畏怖や祈りが必要とされない点と好対照をなす。
占い、神託など、こうした存在や力の動向を知るための手段についての説明。
病、死、天災、収穫、天候、などが何であり、どのように訪れるかについての説明。
集団や個人の生活の営み方。祝い事、祭り、儀式、祈り、禁忌、など。
命、死、死後の世界、などについての説明。
善行、悪行に対して与えられる報いについての説明。
時間の始まりと終わり、空や地上や海の起源や形状、星や太陽や月の実態、世界の起源や終末についての説明。
価値観と世界観(価値観とは人生や社会において何が大切であるか、何をしてはならないか、などを規定し、世界観とは、この世界はどのような成り立ちをしているかについて、のべた考え方を表すもの。)
信仰対象
自然物、過去の人物、先祖、人格神、因果などの象徴的存在などについての信仰
宗教体験
修行や儀礼などを通した宗教体験・神秘体験
信仰内容には、通常、科学で検証の対象とならないような世界の秩序、人間の存在の意義などについての考え方が含まれている。なお、考え方や教義の中に含まれる思想的傾向を教団や信者団体が実践しているかどうかは、また別の問題である。
宗教の対象が普遍的・究極的なものである場合が多いためか、「宗教」という単語に対しても、厳密な定義があるかのように考えられる場合がある。しかしながら日本語の「宗教」という語自体の定義は明治以降に広まったものであり、また明治時代から現在までの百数十年の間にも変化しているものである。また、日本語以外の「宗教」に相当する単語は、各言語の歴史的・文化的経緯を経て意味が確立しているため、厳密にはそれぞれ別の意味を持つ語である。そのため、「宗教」という言葉がどのような意味で使われているのかは、文章中の定義や文脈で判断する必要がある。
宗教を広義にとらえると、その構成要素には社会常識や文化や生活習慣、慣習、思想や道徳など、非常に広範な人間の行動様式・活動が含まれる。ある宗教体系の中に生きている人間は通常、自己が置かれている宗教を意識しない。宗教は、他の宗教との接触があった場合や政治権力が宗教的権力と対立した場合、理科学的事実と経典内容に矛盾が存在した場合、あるいは聖と俗など非日常的なものと比較的日常に属するものの区別を行う場合に表面化し、意識されるようになる。このため、キリスト教に対する未開の宗教、政治権力に対する宗教教団、科学による世界観に対する宗教的世界観、日常生活に対する祭り、などの形を通して宗教は意識される。顕在化した宗教意識は場合によって視点が異なるため、「宗教」という言葉が指し示す内容も異なる原因になる。
宗教の定義に関する一般的な問題として、以下の問題がある。
大日本帝国においては、神道非宗教論(正しくは「神社」非宗教論)が展開された。これは、宗教とは個人の信仰であり、神道儀礼は宗教ではないとするものである。大日本帝国憲法下、政府は「神社は宗教に非ず」と強弁し、神社への参拝強制や天皇崇拝を正当化した。この問題は、現在においても、靖国神社参拝と信教の自由に関する問題などに影響を与えている。
江戸時代において、仏教(禅宗)からの儒教(朱子学)の分離が進められた。明治時代において宗教概念が成立した際に、仏教から分離し道徳規範となる儒教は、宗教であるのかないのか、分類が難しいものとなった。また、現在においても、禅や儒教は宗教というよりは東洋思想ではないか、等の、定義に関する論争がある。
一般に宗教は組織をもつとされるが、そもそも教団と呼べるほどの制度が存在しないままに存在している、つまり組織が存在しない宗教的な活動も存在する。また、宗教にはしばしば特定の開祖が存在していることを考えれば、そうした宗教は初めから発達した組織と結びついているわけではないと言える。
近年では精神世界、ニューエイジ・ムーブメントと呼ばれるような動きや、自己啓発セミナーなどを通じて、制度化された特定の宗教とは結びつかない形での宗教的実践や信仰が生じている。宗教を個人的な真理などの探求と捉え各種の宗教から情報を得る。このようなニューエイジ・ムーブメントを、組織宗教からはなれた、より個人的な宗教性の探求と捉えることもできる。このような宗教は宗教団体として確認することができないため、「見えない宗教」と呼ぶ場合がある。
創唱宗教と対比されるところの自然宗教も、そもそもそれを信じている人が宗教や信仰についてあまりはっきりと自覚しておらず、宗教組織も非宗教組織から独立した形で明確に存在しているわけではない場合が多い。