羽柴誠三秀吉(はしば せいぞう ひでよし)や羽柴 秀吉名義の政治活動で知られる三上 誠三(みかみ せいぞう、1949年10月11日 - )は、日本の実業家。青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営している。公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。五所川原市役所向かいのビルにある看板
(2008年4月)
目次
1 来歴・人物
2 選挙立候補
3 旅館「秀吉のやかた」
4 選挙歴
5 著作
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
9 脚注
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若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、現在の名前を名乗っているという。
五所川原市役所向かいのビルには、「大坂城攻略」というネオン看板を掲げている。
「女性を口説く情熱の半分を仕事に傾けよ」など独自の経営哲学のもとに一代で羽柴グループを築き上げた。日本各地の選挙に出馬する。Vシネマ俳優・三上大和(元気が出るテレビのコーナー「口ケンカ王」出身)は次男である。自宅は大阪城の形であり、日本の国会議事堂を模した建物もある。金箔を食べるなどの成金的パフォーマンスはしばしば雑誌で取り上げられていた。
地元では経営している温泉等の施設が古びてくると、無人の時に原因不明の火災が起き保険で再建される事が知られており、その疑惑は週刊文春で報じられた。イオンド大学名誉教授でもある。担当科目は不明。
政治にも興味をもっており、1976年地元金木町長選挙に出馬するものの落選(この時は本名の「三上誠三」で立候補)、公職選挙法に基づく選挙違反により逮捕。その後1999年の東京都知事選挙を皮切りに、長野県知事選挙・大阪府知事選挙・参議院選挙・衆議院選挙・大阪市長選挙など多数の選挙に立候補。
選挙のキャッチコピーは、2002年の長野県知事選挙からは「輝く(地名)新時代」を使用していた。(例:2007年4月22日に投開票された夕張市長選挙のキャッチコピーは、「輝く夕張新時代」であった。)
金木町長選挙では本名の「三上誠三」を、東京都知事選では「羽柴誠三秀吉」をそれぞれ名乗っていたが、大阪府知事選挙・市長選挙では「羽柴秀吉」として立候補した。長野県知事選挙ではヘリコプターからの演説、大阪府知事選挙では金箔を使用した武士の鎧兜姿のポスターなど、派手な選挙活動でも注目された。また、長野県知事選挙では、田中康夫知事の「脱ダム宣言」を非難し、ダム建設推進を積極的に唱えた唯一の候補であったことも注目された。なお、本人の弁によればあくまでも目標は大阪であり、国政選挙や東京・長野は「羽柴秀吉」を通称として認めさせるための出馬だったとのこと。
2005年3月28日に旧五所川原市、金木町、市浦村の合併によって新たに誕生した、五所川原市の市長選挙に本名で立候補。成田守・旧五所川原市長との一騎打ちとなった。独自候補擁立を見送った民主党県連の一部、今博県議・横山北斗(衆院選候補者、のち当選)らからの支援も受けたが及ばなかった。
2005年9月11日の衆議院総選挙では、小泉純一郎首相の選挙区である、神奈川11区から立候補するが落選。「小泉さんを支持する国民に失望した。もう国政選挙には出馬しない」と落胆した(ただし、その後2007年7月の参議院選挙に北海道選挙区から出馬した[1])。
2005年、関市長辞職に伴う大阪市長選挙に出馬の意向を示すが、結局は出馬を見送った。2006年、自身のウェブサイトにて、宮崎県知事選挙に出馬する可能性があることを明かした。そこには、「輝く宮崎新時代を切り開く よみがえる羽柴秀吉」、「宮崎県民の希望と幸せを願い、羽柴新党党首羽柴秀吉いざ出陣!!」と書かれている。しかし、この時も出馬は見送った。
2007年、自身のウェブサイトにて、東京都知事選挙への出馬を否定。夕張市長選挙に出馬した。この選挙では住民票を夕張に移し、公約には大企業を5社誘致、閉鎖される市営温泉施設の私財を投じての再開(だが、当選した場合は公務員となり、私財の投入は認められていない)などを掲げ、自主投票となった一部の商工連盟や地元有力者の支援を受け、事前の世論調査でも高い支持率を示し、マスコミにも当選の可能性がある有力候補として扱われた。