日本列島(にほんれっとう、にっぽんれっとう)は、ユーラシアプレートの東端に位置し、太平洋西部にある日本海溝に沈む手前の地帯において隆起した弧状列島。広義の日本列島は樺太(サハリン)、北海道、本州、四国、九州の主要5島とまた、千島列島や南西諸島・伊豆諸島などの島嶼からなる。まれに、台湾を含めることもある。
狭義の日本列島は、現在日本が実効支配している領域を指す。ただし、小笠原諸島に関しては、日本列島に含めるのは、地理学的に不適切である(詳細は「#意識の中の日本列島」)。
古くは、沿海州や朝鮮半島などのユーラシア大陸東岸と地続きであった。
目次
1 成り立ち
2 気候
3 人類
3.1 斧形石器による推定
3.2 化石人骨による推定
4 動物・植物
5 意識の中の日本列島
6 脚注
7 関連項目
8 参考文献
9 外部リンク
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現在の日本列島は、主に付加体とよばれる海洋でできた堆積物からなっている。かつて日本付近はアジア大陸の端で、古生代には大陸から運ばれてきた砂や泥が堆積していた(現在の北陸北部、岐阜県飛騨地方、山陰北部など)。そこへ、はるか沖合で海洋プレートの上に堆積した珊瑚や放散虫などからなる岩石(石灰岩やチャート)が移動してきて、それが海溝で潜り込むときに、陸からの堆積物と混合しながらアジア大陸のプレートに押しつけられて加わった(付加)。この付加が断続的に現在まで続いたため、日本列島は日本海側から太平洋側に行くほど新しい岩盤でできている。
このようなメカニズムで大陸側プレートに海洋プレートが潜り込む中で、主にジュラ紀〜白亜紀に付加した岩盤を骨格に、元からあった4〜5億年前のアジア大陸縁辺の岩盤と、運ばれてきた古いプレートの破片などを巻き込みながら、日本列島の原型が形づくられた。この時点では日本はまだ列島ではなく、現在の南米のアンデス山脈のような状況だったと考えられる。その後、中新世になると今度は日本列島が大陸から引き裂かれる地殻変動が発生し、大陸に低地が出来はじめた。2100万〜1100万年前にはさらに変動は大きくなり、西南日本は長崎県対馬南西部付近を中心に時計回りに40〜50度回転し、同時に東北日本は北海道知床半島沖付近を中心に、こちらは反時計回りに40〜50度回転したとされる。これにより今の日本列島の、関東〜北海道は南北に、中部〜沖縄は東西に延びる形になり、開いた部分には日本海となるおおきな窪みが形成された。「観音開きモデル説」である。
こうして、不完全ながらも今日の弧状列島の形をして現れたのは、第三紀鮮新世の初め頃であった。その後も、特に氷河期の時などには海水準が低下するなどして、大陸と陸続きになることがしばしばあった。最後の氷期が終わり、マイナス約60mの宗谷海峡が海水面下に没したのは、更新世の終末から完新世の初頭、すなわち約1万3,000年から1万2,000年前であることから、ほぼこの時期に日本は、完全に大陸から離れてとしての現在の姿と環境を整えた事になる。
およそ200万年前に始まる更新世は氷河時代とも呼ばれ、現在よりも寒冷な時期(氷期)と温暖な時期(間氷期)とが交互に繰り返し訪れた。厳しい気候変化の時代でもあった。それに伴う地形の変化や火山の爆発などで起こる地殻の変動も激しかった。氷河期の最盛期には、気温年平均で摂氏7から8度も低下した。その影響で、南北両極に氷河が発達したのは当然ながら、北半球の高山や広い範囲に氷河が発達し、海水が少なくなって海水面が低下した。その低下量は、現海水面から約140mも下がった。ところが、最終の氷河期を越えると世界的に気候は、温暖化の時期を迎え、厚く堆積していた氷河が溶け始め、海水面は次第に上昇してきた。
地質年代区分の説明
第三紀は、約6,500万年前から約170万年前の間であり、さらに、暁新世、始新世、漸新世、中新世、鮮新世と区分される。鮮新世は、510万年前から170万年前までをさす。
第四紀は、170万年前から現在までであり、更新世・完新世とにわけられ、人類の時代又は人類紀とも呼ばれる。更新世は、氷期として知られ、完新世は、後氷期として知られている。日本では更新世を洪積世、完新世を沖積世とよぶこともある。
氷期には海が後退し、日本列島と大陸は、陸橋で繋がっていた。約7万年前に北の陸橋を渡って来たのは、マンモス、ヘラジカ、トナカイ、ヒグマ、ナキウサギ、キタキツネなどで、南の陸橋を渡ってきたのは、ナウマンゾウ、オオツノシカ、カモシカ、ニホンジカ、ツキノワグマ、ニホンザルなどである。動物たちがわたって来たということは、それらを追って大陸の旧石器時代人も、当然、渡ってきたと推定される。