平和(へいわ)とは、狭義では戦争と対極にある状態で、暴力的な政治的活動が行使されない状態、争いがなく穏やかな状態を言う。また、人間が相互の恒常的な自由と秩序・安寧・平安などを実現・維持している状態であると言える。例えば、具体的な戦闘が終結しているような場合においても、地雷などが依然として埋まっているような土地では、生活に対する危険な状態が継続していると言えるため、完全に平和になったとは言いがたい。
貧困・飢餓・疾病・教育格差・情報格差などの存在が必然的に闘争へと結びつくという立場からは、これらの無い状態を平和の要件とすることもある。大きな災害も秩序を喪失させることが多いため、これも平和の対極に置く考えもある。
目次
1 戦争と平和
2 平和の方法論
3 日本国憲法における平和
4 宗教における平和
5 平和の課題
6 国連平和維持軍
7 その他
8 関連項目
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トルストイを代表とする多くの作家・表現者が『戦争と平和』と言う題名の作品を著しているように、戦争は平和を破壊する重大な行為であると言う考えから、単純に戦争がない状態を意味して「平和」と呼ばれることがある。イマヌエル・カントの「永久平和のために」が平和に関する古典とされている。
平和を実現するためのモデル的な方法論はいくつかあるが、根本的な解決にはさまざまな要素により未だ至っていない。
強力な支配者が覇権を維持することによって秩序を保とうという覇権主義の考え方。
各人・各国がお互いの独立と権利と自由を最大限に尊重・保障しながら発展しようという国際協調主義の考え方。
複数の国家が連合した国際機関を介した集団安全保障によって実現しようという考え方。
例として
ローマ帝国が地中海世界で実現したパックス・ロマーナ。
国際連合や欧州連合が行っているさまざまな政治的、経済的、外交的な取り組み。
国際連合が設立当初目指していた安全保障理事会による集団安全保障体制。
西側と東側の核抑止による勢力均衡で成り立った両極体制。
などが挙げられる。
憲法学などの授業で使用する解釈として「武力による平和」と「武力なき平和」がある。「武力による平和」は武力の行使を「国防・自衛・狭義の安全保障」とする解釈である。これは最低限の武力を持ち必要に応じて行使することで平和を保とうという考え方であり、泥棒などの犯罪者が地域や家屋に侵入すればしかるべき装備で撃退するのは当然だという考え方に基づいていると言える。「武力なき平和」は「武力があるから戦いが起こる」とする解釈である。世界大戦をはじめとするかつての戦争の大半が「自衛」を口実とした侵略戦争だったことに基づき、全ての人々が一斉に武力を放棄することで平和を保とうという考え方である。しかし「武力」とは相対的なものである。現在武力とされているものを撤廃すると、現在のところ武力となりえないものが新たな武力して浮上する。銃は刀剣となり、刀剣はナタや包丁になり最終的には自らの拳さえも武力となるだろう。このような武力撤廃を繰り返した先に到達する「武力のない状態」というものがどのような状態であるのか示した具体象は提示されてはいない。大量破壊兵器を廃棄対象に限定するという考え方もあるが、反核運動の現状が示すように、これについても全世界的な廃棄に至る実効的プロセスは提示されていない。 以上の事から現在日本国では事実上の軍隊である自衛隊と米軍との日米安保による安全保障体制を敷いてる。このことが平和憲法とかい離しているという問題を抱え続けており、改憲運動と護憲運動が対立している。
仏教やサンスクリット哲学のように、内的状況の浄化によって、あらゆる嫌悪から自らを解き放とうとする形而上学的考え方が古くから在る。例:マハトマ・ガンディー
人類は歴史において継続的に争ってきた。史料が残っている6000年以内に発生した戦争だけに限ってもその回数は15000回以上であると考えられており、またドイツ社会学者のソローキンによれば12世紀から19世紀の間*大量破壊兵器の拡散は核兵器の開発技術、核物質、技術者が世界規模に拡散し、また比較的製造が簡単な生物兵器や化学兵器が世界各地に流通することであり、テロと結びつけば治安が大きく破壊される。