重要な注意: これは英語版Wikipediaについて書かれた文書を翻訳したものです。ほとんどの内容は日本語版にもそのままあてはまりますが、中にはそうでない記述もありますのでご注意ください。
人々はウィキペディアにとても強い反応をします。また、別の人々はほとんど一瞬で虜になって、そのアイディアを気に入ります。別の人々は、そのアイディアは馬鹿げていて、真面目に考慮するには値しないと考えます。これまで私たちはウィキペディア・プロジェクトに対するたくさんの共通した批判を受けてきました。ここでは、それらに対する回答を提示します。
ちなみに、ウィキペディアに向けられた批判の多くはウィキペディアに特有なものではなく、ウィキペディアが誰もが自由に編集できるウィキであることに根本原因があります。ですから他のウィキに対しても同様の異議が唱えられています。
目次
1 不特定多数のインターネットユーザーに編集させるなんて非常識だ
1.1 私の文章をいじられたくない
1.2 変人の書き込みだらけになるに違いない
1.3 トンデモ話の寄せ集めでしょ
1.4 アマチュアの書く記事なんて
1.5 広告
1.6 スパム攻撃の標的になるに決まっている
1.7 「おたく」の書く記事は偏ってる
2 ウィキペディアの記事は質が悪い
2.1 書きかけの記事だらけだ
2.2 まともな知識人は参加しないだろう
2.3 事実、間違いだらけだ
2.4 専門家がいなくて、査読がないなんて
3 ウィキペディアの継続的発展という推定は疑わしい
4 その他の懸念
4.1 そもそもこんなもの要らないでしょう
4.2 マークアップと表示
5 関連項目
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不特定多数のインターネットユーザーに編集させるなんて非常識だ
私の文章をいじられたくない
通りすがりの人に「私の」珠玉の名文を編集させるなんて、想像できません。それは私のものです。どうして他の人に触らせられるでしょう?
ウィキペディアでは、誰もウィキペディアへの加筆を個人のものとして「所有」しようとしません。様々な主題について、「知られていること」(人類共有の知識)を書くために、私たちは「一緒に」作業しています。この考え方は、みんなにとって有益です。与えられた主題について独力で記述することは、本当に専門家であったり、膨大な調査をするのでなければできません。しかし大勢で取り組めば、それぞれの努力はわずかでも、そしてすぐには完成しなくても、すばらしいものを作り上げることができるのです。これはウィキペディアで数えきれないほど起こっていることです。次の証言を見てください。私は「ゲーデルの不完全性定理」をそれなりに理解していると思います。既存の記事が短くて不完全だったので、書き直すことにしました。それ以来いろいろな人々が参加してきて、時にはパラグラフを書き直して、時には省略を批判して、時には削除しました。私はすべての変更に賛成というわけではありませんでしたが、そのほとんどには賛成でした。ウィキペディアはすべての記事について以前のバージョンすべてを蓄積しているので、素材は全く失われていませんので、私は変更を元に戻しました。全体として現在、記事は私が一人で書けたものよりずっとよくなっています。さて、この方法で一緒に作業するために、私たちには中立的ではない観点から書くことに反対するという方針があります。つまり、どんな主題についても、単に「私たちの観点」を記述しようとせず、すべての競合する観点について公平に記述するように配慮することです。例えば科学的な記事では極端に少数の意見には充分に触れられない傾向があります。しかしウィキペディアは紙媒体ではなく、枚数制限がないので、ウソ理論に関する情報もいくらでも書けます。ただし、その理論を「信じている人がいる」ことが真実であることを除けば、単に真実として説明されるわけではありません。どんな論点についても、何が正しい観点なのかは、それぞれの人の理性に任せるべきですから、さまざまな競合する観点ができるかぎり明確に、完全に、そして共感をもって記述されることが最も重要です。