中立性の観点のポリシーには賛成しますが、完全に、手の施しようのないくらい見方が偏った人がいます。彼らの投稿を編集しなければなりません。どうしたらいいんでしょうか。
これは難しい問題です。
本当にひどいケースでない限りは、その問題を公然と指摘し、この(中立的な観点の)ページを示し、他の人の助力を求めるのがいいでしょう。但し、礼儀正しく指摘することです。大抵の場合、その方が効果的です。もしも問題が非常に重大なら、ジンボ・ウェールズを呼び出してげんこつを食らわしてもらうのもいいでしょう(文字どおりの意味ではありませんよ)。それでも非常に強い抵抗にあった場合には、プロジェクトを離れるように頼むことになるでしょう。このプロジェクトを完全にオープンなものにしておこうというわれわれの強い関心も、圧倒的多数の執筆者が持っている別の関心によって制限される場合が確かにあります――執筆者は、われわれのポリシーを尊敬しない人々による妨害を常に直し続けるようなことなく執筆活動を行いたいという願いがあります。
中立性に関する果てしない争いをどうやったら終わらせることができるでしょう?
みんながもっとこの質問をしてくれればいいのですが。われわれはウィキペディアがどんな偏った見方を提供すべきかについては論争すべきではありません。ウィキペディアはどんな風にも偏っているべきではないのです。
偏った見方をめぐる論争を終わらせる最良の方法は、われわれがみな、それなりに聡明で、能弁であり、そうでなければそもそもこのプロジェクトに携わり、それについてあれこれ考えたりもしていないはずだ、という点を思い出すことです。われわれはお互いの観点を理解し、それぞれの観点がフェアーに提示されるように努力することを目標にしなければなりません。もしもある記事について、特定の主張がなされなければならないか、何が真実であるか、などについて論争が持ち上がった時には、個々の主張に反対する立場などをとるべきではありません。一歩身を引いて、「この論争はどんな風にしたらフェアーに説明できるだろうか?」と考えるように全力を尽くすべきです。これは新しい論争の種が登場する毎に行われるべきです。ウィキペディアが何かわれわれの独自の観点を反映するように編集し、それを他の人の改変から守るなどということは、われわれのなすべき仕事ではありません。われわれの仕事は、協力し、主に新しいコンテンツを付け加え、必要とあれば論争がどんな風に説明されるべきかについて妥協し、全ての陣営にとってフェアーな扱いができるようにすることです。
こんな場合はどうでしょうか? ――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には、反論の余地のある前提を受け入れて書かなければ記事が書けないのではないでしょうか? 例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?
もちろんそんな必要はありません。どんな主題について書くのであれ、誰かが反論の余地があると考えるような前提が必ず入ってしまうものです。これは進化生物学に限らず、哲学、歴史、物理学などについてもあてはまることです。
個別のケースについて判断を下すための一般則を提供することは難しいですが、以下のような考え方は助けになるかも知れません:もしもある前提について他のページで踏み込んだ議論を行うのであれば、その前提について別のページで議論する優れた理由は、たぶん存在しないでしょう。ですが、手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います。例えば、馬の進化について扱った記事で、創造説をとる人々の一部は馬の(そして他のいかなる生物の)進化があったことを一切認めないということを手短に一文書き、関連する記事にリンクを張るのはよいでしょう。もしもより具体的な点についての具体的な議論があるのなら、それについて説明する専用の記事があるのもいいでしょう。
「敵のために書く」という話には納得が行きません。敵のためには書きたくないです。敵に当たる人のほとんどは、誤りだと証明できるようなことを事実として主張するという手段に頼って議論しています。中立的な観点のためには、同意できないような観点を善意を持って説明するために、私も彼らと同じような嘘をつかなければならないというのでしょうか?
それは中立性のポリシーについての誤解です。あなたは敵にあたる人の主張を「これこれの人はかくかくの理由によりしかじかである、証明終わり、と主張する」と説明するだけで、あなた自身が何かを主張するわけではありません。これは、道徳的なやましさを感じることなく、真顔で行うことができるものです。何故なら、その主張はあなたの主張ではなく、誰か他の人が主張しているものとして説明されるからです。それが重要な点なのです! もしもわれわれが上に定義したような形で人間の知識を編纂しているのであれば、敵にあたる人の主張について説明を省略することは、重要な情報を収録しないことになってしまいます。
人文諸学などにおいて研究者がうけているトレーニングは注目に値します。彼らは、ある点についての証明をしようとする際に、その主張に対する反証となるような反論をとりあげなければならず、それらの反論が何故間違っているのかについて説明しなければならない、ということになっています。このような学術的なトレーニングは、学者に、原典資料や、過去にどのような説が否定されてきたかについてのより優れた知識をもたらすことにもなります。中立的な観点のポリシーとよく似た何かが、学者達にとっては多かれ少なかれ暗黙の前提のようなものなのです――もしもその前提が守られなかったり、あるいは特定の論点を指示する事実だけが用いられて反証となるようなものが無視されたりすると、そのような振る舞いをした学者は地位や評判を失うこともありえます。
もっと別の反論があるのですが、どこに書いたらいいでしょうか?
反論を書く前に、以下のリンクを参照して下さい。中立性の観点をめぐる多くの物事は、非常に多く議論されてきました。もしもその議論に貢献できるようであれば、ノートのページが利用できます。
関連ページ
⇒Nupediaの中立性の観点のポリシー
Category:中立的観点に議論ある項目
⇒Meta-Wikipedia draft and commentary
⇒中立的な記述の例
⇒記述の例をめぐる議論
⇒自然な記述
⇒見方の偏りについて理解する
⇒ウィキペディアで扱われる、最も論争を呼ぶ主題
Wikipedia:避けたい言葉
⇒創造説
⇒m:Positive tone
外部リンク
⇒NeutralPointOfView on ⇒MeatballWiki
カテゴリ: 編集保護中の記事 | 公式な基本方針 | 中立的観点に議論ある項目
更新日時:2007年11月15日(木)23:46
取得日時:2008/11/17 16:37