来歴
1994年12月の発足以来プロ化を目指していた日本バレーボールの「Vリーグ」に乗じ、1995年秋にフジテレビ主催で行われた『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして新しいグループが作られる事が、1995年8月に発売されたアイドル雑誌『Myojo』の1995年10月号にて初めて発表される。その時のグループ名表記は「Vsix」で、メンバーもまだ候補段階であり、初代の「ジャニーズSr.」として既にNHK-BS2『アイドルオンステージ』でも活躍していた、坂本昌行・長野博・井ノ原快彦・佐野瑞樹・原知宏・喜多見英明の6名となっている。 その後、佐野・喜多見の替わりに、「剛健コンビ」と呼ばれていた森田剛と三宅健が正式に加入。この6名で、同年9月4日に六本木のディスコ「ヴェルファーレ」にて、新グループ「V6」としてのデビュー記者発表が行われた。
その後、事務所社長のジャニー喜多川が、更にV6の中で年上チームと年下チームに二分する事を考案。そこで、原知宏は元々Sr.の出身で、年下チームに入れるには身長も高すぎるという事で、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のオーディションコーナー「ジャニーズ予備校」出身の岡田准一と木村伸一、更に「J-eleven」出身の大野智という3名の候補者が浮上。大野に関してはデビュー曲のカップリング『Theme of Coming Century』のレコーディングにまで参加していたが、最終的には岡田がメンバー入りする事に決定。ここで初めて現在のメンバー構成となった。
1995年11月1日、『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビュー。デビューイベント「SING FOR THE PEOPLE」を成功させた。また、イメージキャラクターを務めた『バレーボールワールドカップ』では大会中継や、V6主演のタイアップドラマ『Vの炎』に出演する事で知名度を高めていった。ドラマ撮影時は合宿生活までしている。
当初はユーロビートの楽曲(主にデイブ・ロジャースのカバー)を歌っていたが、1997年『愛なんだ』からポップス路線に転換。
1998年、森田が『24時間テレビ 「愛は地球を救う21」いま、始めよう』において、チャリティーランナーに選ばれ、100kmマラソンを完走。
2000年、夏のコンサートでさいたまスーパーアリーナのこけら落し公演を行う。
2000年8月19日?8月20日『24時間テレビ 「愛は地球を救う23」がんばる…君のために!』にてメインパーソナリティを務める。
2001年、台北で、日本人としては初めて、3日間連続公演を、同年10月、カミセンがアジアコンサートを行った。
2002年、韓国の『ドリームコンサート2002』に日本人として初出演する。また井ノ原は自らの原案による映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』、『ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY』に出演した。(ちなみにこの映画の主役は嵐の5人が主役)
2003年、カミセン主演映画『COSMIC RESCUE』公開。
2004年、映画『サンダーバード』で日本語吹き替え版の声優を担当。
2005年デビュー10周年。