V2(ブイツー)は、小室哲哉とYOSHIKIによって1991年に結成された音楽ユニット。
目次
1 結成の経緯
2 小室によるボーカルについて
3 東京ベイNKホールでのライブ
4 その後
5 ディスコグラフィ
6 出典
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市川哲史による小室哲哉へのインタビュー[1]によると、話を持ちかけたのは小室。当時セールス面で彼のバンドTM NETWORK(当時の名称はTMN)は全盛期の勢いを失いつつあったのに対し、YOSHIKIのバンドX JAPAN(当時の名前はX)は昇り調子だったため、その勢いに乗ろうという目論みが小室側にはあり、シングル1枚リリースするという前提で二人が合意。
当時、XはCBSソニー、TMNはEPICソニーと、別々のレコードレーベル所属で、YOSHIKIと小室がそれぞれ自らのレーベルの社長へ直談判し、日本の音楽シーン史上おそらく初めてのレーベルの垣根を越えた音楽ユニット結成[2]を実現させた(ただし当時は両レーベルともソニー・ミュージックエンタテインメント内の一部門であり、法人格としては同じ会社に所属していたため、ユニット結成への障害は比較的少なかった)。THE ALFEEの高見沢俊彦も参加する予定があったが、高見沢が当時所属していたレコードレーベルはポニーキャニオンであったため、実現しなかった。
ユニット名は第二次世界大戦中にドイツが開発したV2ロケットから取られている[3]。
当初の案では、YOSHIKI率いるエクスタシーレコード所属のバンドから誰かボーカリストを起用する予定だったのだが、企画倒れに終わり、仮唄のはずで録音された小室のボーカルでそのままCDリリースとなった[1]。当事者二人を含め、小室のボーカルを嘆く声は多いが、あのボーカルだからこそのV2だというファンの声もある。
1991年12月5日、東京ベイNKホールにて一度きりのライブを行った。 元々は、小室がモーツァルト没後200年を記念して自身のソロライブとしてフジテレビ事業部主催で企画していたものを、小室自身による交渉によりV2としてのライブに変更した。
市川哲史による調査[1]によると、2時間に渡るライブで披露されたのは、シングルに収録された上記2曲と、ピアノ連弾バージョンの『背徳の瞳』、YOSHIKIのドラムと小室のシンセによる即興曲『Space World』、YOSHIKIによるドラムソロとピアノソロ3曲(『ENDLESS RAIN』・『Es Durのピアノ線』・『レクイエム』)、小室によるソロアルバム『マドモアゼル モーツァルト』収録の6曲。ステージ右側に小室のシンセを載せたリフト、左側にYOSHIKIのドラムセットを載せたリフトが配置され、ステージ奥には生オーケストラ。YOSHIKIのドラムソロでは、スタッフがリフトを上げたまま長い時間降ろさなかったため、Xのコンサートで披露されるものより長いドラムソロとなった。ライブの様子はビデオ『SPECIAL LIVE 1991.12.5 VIRGINITY』に収録されている。
小室哲哉は、このV2プロジェクト実現のための舞台裏作業を一手に引き受けたが、そのことが彼にプロデュース業の面白さを教えることとなり、後の小室ブームを生み出すきっかけとなった[1]。
小室とYOSHIKIの関係はその後も続き、2002年にはYOSHIKIが小室のユニットであるglobeに加入した(2005年よりYOSHIKIを加えた活動時はglobe extremeを名乗る)。
V2としての活動はその後一切行われていないが、2007年12月16日に小室哲哉が自身のMyspace.comブログで「possibilityとしては0%か100%だけどYOSHIKIと先日TELでV2を必ずやろうと盛り上がりました。」と書いている[4]。
ディスコグラフィ
シングル『背徳の瞳 ?Eyes of Venus?/Virginity』(1992年1月18日発売)
唯一リリースされたシングルで、オリコンチャート初登場2位を記録し、47.7万枚を売り上げる。収録されたのは以下の2曲。また、下記の曲を収録したバンドスコアが発売されていた。作詞・作曲・編曲:V2
背徳の瞳 ?Eyes of Venus?パワーメタルチューン。二人によるピアノ連弾のイントロの後、当時のXと何ら変わらないYOSHIKIによるハイスピードドラムと、小室による速弾きシンセサイザーとボーカルから成る。メタルナンバーだが、エレキギターは使用していない。
Virginityバラード調の不可思議な曲。小室によるミディアムテンポのボーカルとシンセに、YOSHIKIによるドラム、YOSHIKIと女性との英会話が被さる。