UWF
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U.W.F.(ユー・ダブリュー・エフ、Universal Wrestling Federation:ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)は、日本のプロレス団体の一つ。

格闘技路線のプロレスで人気を呼んだ。設立時期により第一次と第二次に分かれる。

当初は古代ギリシャパンクラチオンの復興を目指して設立されたが、離合集散を繰り返し、第二次UWF崩壊以後は分派した団体間・個人間で誹謗・中傷が頻発した。
目次

1 第一次UWF

1.1 概要

1.2 設立までの経緯

1.3 路線

1.4 崩壊


2 新日本への一時帰還

3 第二次UWF

3.1 概要


4 所属していた選手

5 主なタイトル

6 脚注

7 関連項目

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第一次UWF


概要

ファン及び専門誌では旧UWFとも呼ばれる。また所属選手にはユニバーサルと呼ばれる場合がある。第一次UWFは1984年新日本プロレスの営業本部長だった新間寿を中心に、同じく新日本プロレス所属の前田明(現・前田日明)と 、同じく新日本プロレス所属で元国際プロレスラッシャー木村剛竜馬グラン浜田マッハ隼人らによって立ち上げられた。


設立までの経緯

UWF設立の裏には、当時アントニオ猪木が起こした事業「アントンハイセル」の失敗により莫大な負債を抱え、その補填をする為に新日本で得た収益を資金流用しているという話に端を発するお家騒動(新日クーデター事件)が大元にある。この騒動により、猪木派であった新間寿営業本部長と反猪木派社員が反目。新間が猪木の新たな受け皿として用意したのがユニバーサルレスリング連盟、通称「U.W.F」である。

しかし新間は「クーデターを企てた首謀者」として営業本部長を解任され、同時に猪木も代表取締役社長を一時的に解任。クーデターは未遂に終わる。

そういった経緯から、設立前にはアントニオ猪木を含めた新日本プロレスのレスラーの参加が噂され、旗揚げ戦のポスターにも当時の新日の主力選手達や主力外国人レスラー達の写真が載せられたが、結果としては前田日明を始め、セミファイナル以下のレベルのレスラーが旗揚げに参加にするにとどまった。

なお前田は、「猪木さんが『俺も後から行くから、先に行ってくれ』と言われたので移籍した」と後に発言している。また佐山聡は後に、男性誌の連載記事にて事件経緯の内幕を暴露している。

外国人レスラーに関しては、表立ってはいなかったが、ジャイアント馬場のルートでテリー・ファンクが窓口となり選手を斡旋している。


路線

旗揚げ戦は、1984年4月11日埼玉県・大宮スケートセンターにて行われた。旗揚げ戦のポスターに掲載されていた、猪木を始め、当時の新日の主力選手達や、ハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントら当時の新日のトップ外国人レスラー達は誰も出場しなかった。そのため、これらの選手の来場を期待したファンからの罵声や、試合に関係無い選手のコールが発生するなど、波瀾含みのスタートだった。

旗揚げシリーズは路線も定まらない状態だったが、前田の師匠格である藤原喜明高田延彦を引き連れ参加したあたりから方向性が定まり始め、道場で行われるスパーリングのような関節を取り合う攻防を中心としたレスリングに転換していく。

一方の新日本プロレスは長州力率いる維新軍との軍団抗争が激化。純プロレス路線を更に推し進める中、UWFは1984年7月23日・同24日の後楽園ホール「UWF無限大記念日」大会に、引退していた初代タイガーマスク(佐山聡)がザ・タイガーとして出場することになる。天才レスラーの復帰を心待ちにしていた多くのファンはこれに熱狂。大会が成功した後も一部のプロレスマスコミやファンの強力なバックアップもあり、ザ・タイガーは新日本退団後に自身のジムでインストラクターをしていた山崎一夫を引き連れて継続参戦することになり、8月4日、正式にUWF入団を果たす。後に新日本を退団した木戸修も加わることになり、基本となるUWFの陣容はこれで固まった。なお、佐山は復帰の条件として一部フロントの追放を挙げ、これにより新間寿は正式にUWFから手を引いた。この時、新間に追従する形でグラン浜田が離脱した。

なお、彼等は皆当時「伝説のストロングスタイル・レスラー」としてファンの間で神格視されていたカール・ゴッチ門下生だったこともあり、ゴッチが彼らを指導したことも人気に拍車をかけた。また、ゴッチの娘婿である空中正三もレフェリー兼レスラーとして参加した。ゴッチもまた弟子が参集したUWFを喜び、ジョー・マレンコなどの選手派遣など協力を約束。ここにUWFの目指すレスリング=ゴッチ流ストロングスタイルという一応のラインが出来上がる。

佐山はリングネームをスーパータイガーと改め、9月7日後楽園ホールの「UWF実力No.1決定戦」第1ラウンドで藤原を、9月11日同所での第2ラウンドで前田を倒し「実力No.1」の称号獲得。試合はシングルがほとんど、ロープワークを廃する、相手の技を簡単に受けない等従来のプロレスのショー的要素を廃し、「キックが急所にまともに入ったら誰であってもまともに立っていられない」「関節技はポイントがガッチリ決まれば絶対に逃げられない」とする格闘技色の強いレスリングを展開、従来のプロレスに飽き足らなくなっていたファンはUWFの標榜する路線を支持し、一部に「UWF信者」と呼ばれる熱狂的なファンを生み出した。途中、佐山のUWF移籍問題で浦田昇社長が強要容疑で逮捕されるなどスキャンダルも報じられたが、UWFはこの後もおおむね順調にいくかと思われた。

しかし、ラッシャー木村・剛竜馬が上記試合が組まれていた「ビクトリー・ウィークス」シリーズ後に離脱する。ゴッチ流ストロングスタイル路線を嫌った事が理由と言われる事が多いが、シリーズ前後での、佐山やゴッチを迎えた道場での合同練習にも彼らが友好的に参加していた事は、雑誌企画で取材に来た見栄晴のレポートでも紹介されており、また、当人達が後に離脱の理由について「外国人レスラーのブッキング窓口を巡るトラブルが理由であり、格闘技路線そのものに反対したわけではない」と語っている事、加えて、プロレス批判を強めていく佐山・前田・藤原らから、木村や剛に対する批判がほとんどなされてない事から、この理由はプロレスマスコミ及び一部UWF信者が後になって作り上げたものと見做される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki