1960年代に、マサチューセッツ工科大学、ゼネラル・エレクトリック(GE) 及び、当時AT&Tグループに属していたベル研究所により、GE-645上で動作することを目的としたOSである Multics (Multiplexed Information and Computing System) の開発がなされた。しかしMulticsは製品版として完成したが、巨大で複雑になりすぎたためにパフォーマンスが大変悪かった。その結果、ベル研究所はMultics開発プロジェクトから撤退することになった。
一方ベル研究所の研究員であり、Multics開発プロジェクトの一員であったケン・トンプソンは、Multics開発に携わりながら、世界で初めて不特定多数の人に遊ばれたテレビゲーム「スペースウォー!」をGE-645上に移植すべく、Space Travelというゲームを開発していた。しかしこのゲームはGE-645上で動作させるにはコストが高く、実際にパフォーマンスもあまり良くなかった。
そのためトンプソンは、同じベル研究所に所属していたデニス・リッチーの力を借りて、ベル研究所ですでに使用されなくなっていたDEC社製のシステムであるPDP-7上に、アセンブリ言語を用いてこのゲームを移植した。
このゲームの移植の経験とMulticsの開発経験が結びつき、トンプソンは新しいOSの開発プロジェクトを開始する。このプロジェクトの名前はUNICS (Uniplexed Information and Computing System) であり、後に、UNIXプロジェクトと改称された。Multicsでの失敗に基づき、UNIXの開発はシンプルで独立したモジュール群で構成することを目標としていた。この事は、Multicsのmulti(複)に対してuni(単)という意味がUNIXの名称に込められていることからもわかる。
この時点ではまだベル研究所からの資金的な援助はなかったが、ベル研究所のComputer Science Research Groupが、PDP-7より大きいシステムでのUNIXの動作を望んだため、トンプソンとリッチーはテキスト出力能力を持つUNIXをPDP-11/20上で実現することを約束し、ベル研究所から資金的な援助を得ることとなった。
そして1970年代最初にUNIXはPDP-11/20上で動作するようになり、また、テキストエディタであるedと、テキスト出力用ソフトウェアroffがアセンブリ言語で実装された。roffはその後troffとして発展し、またこれらプログラムを用い、the UNIX Programmer's Manualが1971年3月に出版された。
UNIXは1973年にC言語に移植された。現在ではOSの多くがC言語で記述されることが多いが、この当時はOS、特にOSの中核をなすカーネルはアセンブリ言語でかかれることが一般的であった。ハードウェアメーカーがOSを提供しており、ハードウェアの能力を最大限に生かすには、アセンブリ言語を利用する必要があったためである。しかしアセンブリ言語は可読性、移植性等が欠けているため、1973年にはUNIXはC言語に移植された。
ベル研究所の当時の親会社AT&Tは、独占禁止法によりコンピュータ産業への進出を禁止されていた。このため、UNIXはソースコードと共にメディアのコピー代だけで配付された。このような要因から、UNIXはアメリカ合衆国の企業、大学、政府機関で急速に普及し、またさまざまな改変がUNIXに加えられることとなった。その結果、UNIXにはオープンな文化が育まれ、また、これら創生期に生まれた設計思想、開発手法等はUNIX哲学として発展し、現在のUNIX系OSの開発に多大な影響をあたえている。
その後、ベル研究所のUNIXは順調に発展を遂げ、1975年に至るまでにV4、V5、V6がリリースされた。その過程においてパイプ機能が実装され、いっそうのモジュール化がなされている。1978年には、UNIXは600台以上のシステムで稼動していたとされる。
1980年代の始め、AT&Tにアメリカ合衆国の独占禁止法が適用され、地域系部門が分離、独立されることとなるが、一方で、AT&Tは通信業務以外の分野への参入が認められた。これに伴い、AT&TはUNIXを用いたライセンスビジネスを開始し、UNIXのライセンスを受けた会社は、UNIXに様々な機能追加を施し、自社の商品として独自UNIXを搭載した機器を売り出した。これらの機器に搭載されたUNIXにはソースコードが付属していなかったことや、ライセンスが大変厳しかったことから、UNIXを自由に改変したり、またその改変した機能を公開できなくなった。その結果、UNIXは一時期、閉じた世界のものとなったとされる。
カリフォルニア大学バークレー校は同校で開発されたUNIX用のPascalコンパイラやエディタなどの配布活動を行っていた。これが、BSD (Berkeley Software Distribution) の始まりである。
1980年ごろ、DECのスーパーミニコンVAX-11のリリースにより、ミニコンは32ビットの時代に突入した。LISPやリレーショナルデータベースなど大規模アプリケーションのため32ビット仮想記憶対応のUNIXが求められていたが、AT&Tから提供された UNIX 32VはV7を32ビット対応にしただけのもので仮想記憶機能を持っていなかった。そこで、カリフォルニア大学バークレー校ではV7と32Vをベースに仮想記憶機能の追加を行い、バークレー版のUNIXを開発した。これによりBSDはUNIXオペレーティングシステムそのものを含む大規模なものとなった。 さらに同校はDARPAよりUNIXにTCP/IPネットワーキング機能を追加する研究プロジェクトを受託し、BSD UNIXは、TCP/IPネットワーク機能を持つことになった。特にTCP/IPがBSD UNIXに標準採用されたことは、インターネットの創生期の発展に大きく寄与した。
BSD UNIXはAT&Tから公式に配布許可を得たUNIXのバリエーションであり、入手のためにはまずAT&T UNIXのソースライセンスを得た上でバークレー校とのあいだでライセンス契約を結ぶ必要があった。当時はUNIXのライセンス費が教育機関向けには非常に安く、また同校のライセンス費も実費程度であったのでBSD UNIXは広く普及した。