UNIXは1973年にC言語に移植された。現在ではOSの多くがC言語で記述されることが多いが、この当時はOS、特にOSの中核をなすカーネルはアセンブリ言語でかかれることが一般的であった。ハードウェアメーカーがOSを提供しており、ハードウェアの能力を最大限に生かすには、アセンブリ言語を利用する必要があったためである。しかしアセンブリ言語は可読性、移植性等が欠けているため、1973年にはUNIXはC言語に移植された。
ベル研究所の当時の親会社AT&Tは、独占禁止法によりコンピュータ産業への進出を禁止されていた。このため、UNIXはソースコードと共にメディアのコピー代だけで配付された。このような要因から、UNIXはアメリカ合衆国の企業、大学、政府機関で急速に普及し、またさまざまな改変がUNIXに加えられることとなった。その結果、UNIXにはオープンな文化が育まれ、また、これら創生期に生まれた設計思想、開発手法等はUNIX哲学として発展し、現在のUNIX系OSの開発に多大な影響をあたえている。
その後、ベル研究所のUNIXは順調に発展を遂げ、1975年に至るまでにV4、V5、V6がリリースされた。その過程においてパイプ機能が実装され、いっそうのモジュール化がなされている。1978年には、UNIXは600台以上のシステムで稼動していたとされる。
1980年代の始め、AT&Tにアメリカ合衆国の独占禁止法が適用され、地域系部門が分離、独立されることとなるが、一方で、AT&Tは通信業務以外の分野への参入が認められた。これに伴い、AT&TはUNIXを用いたライセンスビジネスを開始し、UNIXのライセンスを受けた会社は、UNIXに様々な機能追加を施し、自社の商品として独自UNIXを搭載した機器を売り出した。これらの機器に搭載されたUNIXにはソースコードが付属していなかったことや、ライセンスが大変厳しかったことから、UNIXを自由に改変したり、またその改変した機能を公開できなくなった。その結果、UNIXは一時期、閉じた世界のものとなったとされる。
カリフォルニア大学バークレー校は同校で開発されたUNIX用のPascalコンパイラやエディタなどの配布活動を行っていた。これが、BSD (Berkeley Software Distribution) の始まりである。
1980年ごろ、DECのスーパーミニコンVAX-11のリリースにより、ミニコンは32ビットの時代に突入した。LISPやリレーショナルデータベースなど大規模アプリケーションのため32ビット仮想記憶対応のUNIXが求められていたが、AT&Tから提供された UNIX 32VはV7を32ビット対応にしただけのもので仮想記憶機能を持っていなかった。そこで、カリフォルニア大学バークレー校ではV7と32Vをベースに仮想記憶機能の追加を行い、バークレー版のUNIXを開発した。これによりBSDはUNIXオペレーティングシステムそのものを含む大規模なものとなった。 さらに同校はDARPAよりUNIXにTCP/IPネットワーキング機能を追加する研究プロジェクトを受託し、BSD UNIXは、TCP/IPネットワーク機能を持つことになった。特にTCP/IPがBSD UNIXに標準採用されたことは、インターネットの創生期の発展に大きく寄与した。
BSD UNIXはAT&Tから公式に配布許可を得たUNIXのバリエーションであり、入手のためにはまずAT&T UNIXのソースライセンスを得た上でバークレー校とのあいだでライセンス契約を結ぶ必要があった。当時はUNIXのライセンス費が教育機関向けには非常に安く、また同校のライセンス費も実費程度であったのでBSD UNIXは広く普及した。BSDベースの商用UNIXも登場したが、これはAT&Tからバイナリ再配布ライセンスを得て販売されていたのであり、ソースコードは付属しておらず、カーネル再構成用にリロケータブルオブジェクトファイル(.oファイル)が添付されていた。
なお、BSD開発の中心となったのが、後にサン・マイクロシステムズの設立メンバーとなるビル・ジョイである。その後、1995年まで同校のCSRG (Computer Systems Research Group) でBSD版UNIXの開発が続けられた。4.3BSDの出荷後、CSRGではAT&T由来のソースコードの分別と除去を推し進め、AT&T UNIX由来ではないソースコードを無償公開した。これがNetwork Release 1 (NET/1) やNET/2である。特にNET/2ではカーネルのソースのほぼ全てが含まれており、欠落した数個のファイルを開発することにより動作するカーネルを作ることができた。 しかしUNIXのソースコード、特許等のライセンスを管理してきたAT&Tは、BSDに対して快く思わなかった。特に、BSDiがNET/2を商用化してソースコードを販売したことがきっかけとなり、USL(当時UNIXを保有していたAT&Tの子会社)はBSDi及び、BSDを開発したカルフォルニアバークレイ校に対し、BSDによるAT&Tが保有する特許及び、著作権の侵害に対して訴訟を起こす。この訴訟の和解の結果、1994年には、NET/2の公開を取りやめることととなったが、4.4BSDからAT&TUNIXに依存した部分を取り除いた4.4BSD-Liteを同校が公開できることになった。しかし、裁判の間BSD系のオペレーティングシステムは急激に開発のスピードが落ちたとされる。
最後に出荷されたBSDは4.4BSD encumberd(フリーではない)と、そのフリーなソースコードだけを抜き出して作られた4.4BSD-Lite2である。こうしてAT&Tとのライセンス問題を回避したBSDは後に述べるオープンソースUNIXへとつながっていく。
商用UNIXには、V7→32V→4.xBSD→SunOS(サン・マイクロシステムズ)という流れと、V7(→32V)→System-III→System-V (AT&T) という流れがある。なお、System-IVは開発に失敗して出荷されなかった。その後、AT&Tとサン・マイクロシステムズによって、BSD系の機能を追加した統合UNIXが System-V Release4 (SVR4) として開発された。
その後、AT&TはSVR4をノベルに売却した。なお、ノベルはこれを基礎にUNIXwareを開発し、マイクロソフトのWindows NTに対抗しようとした。
1994年にノベルはUNIXの標準規格を確立するために設立されたX/OpenコンソーシアムへUNIXの商標を売却した。