UK(ユー・ケイ)は、イギリスで結成されたプログレッシブ・ロック・バンド。1978年に結成し、1979年5月に解散した。
1995年に突如再結成のニュースが報じられたが、アルバム録音中に空中分解状態になった。
目次
1 変遷
2 音楽性
3 メンバーと担当楽器
3.1 Wakeman, Wetton & Bruford 1976年
3.2 第1期 1977年
3.3 第2期 1977年?1978年
3.4 第3期 1978年?1980年
3.5 第4期 1996年?1998年?
4 ディスコグラフィー
4.1 スタジオ・アルバム
4.2 ライヴ・アルバム
4.3 シングル
4.4 その他
5 関連項目
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元キング・クリムゾンのメンバーであるジョン・ウェットン(vo.b)とビル・ブラッフォード(ds)が、クリムゾンのようなインプロビゼーション主体のロックを再びプレイしようと話をしたことに端を発する。
当初、ELPを発展させた音楽を作って米国の市場を開拓しようというコンセプトのもと、元イエスのリック・ウェイクマンを誘いキーボード・トリオ編成での活動を試みるが、マネージメントの問題(ギャラの配分及びバンド名に個人の名称を入れるかどうかで意見が分かれたと言われている)で挫折。その後、ウェットンがロキシー・ミュージックで一緒になったエディー・ジョブソン(kbd,vln)に参加を打診。リハーサルの途中でギタリストの必要を感じたので、ブラッフォードが自身のソロアルバム『Feels Good To Me』に参加していたアラン・ホールズワース(g)を誘い、ファースト・アルバムに参加する4人のメンバーが決定した。
1978年、このメンバーによるファースト・アルバム『U.K.(邦題:憂国の四士)』をリリースしツアーを行うが、アルバム録音の時点で音楽性の乖離は見え始めていた。ツアーでは新曲も披露されるが、この時点で音楽性の不一致は隠せない物となる。ブラッフォードとホールズワースは、よりジャズ/フュージョン的な音楽性を求め脱退し、フュージョンバンド"BRUFORD"を結成する。
ジョブソン、ウェットンは、後任のドラマーとして、ジョブソンの知り合いでフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションで活動していたテリー・ボジオを誘い、キーボード・トリオ編成でバンドを再スタートさせる。
1979年、セカンド・アルバム『デンジャー・マネー』、同年、ライブ・アルバム『ナイト・アフター・ナイト』をリリースするものの、徐々にジョブソン色が強くなっていく中でウェットンとジョブソンの方向性に違いが生まれ、同年5月、ツアー後に解散した。
1995年に突如UKが再結成すると言うニュースが広まった。
1996年からジョブソンとウェットンで録音を開始。ブラッフォード全面参加、フリップ参加、ブルガリア女声合唱団をフィーチャー予定等と報じられたが、ジョブソンの作業の遅れ(CM音楽製作を優先)とウェットン/ジョブソンの仲違いによりUKは空中分解状態となった。 結局この時の音源の一部はウェットンのベース、ヴォーカルを差し替える等してジョブソンのソロ名義「Voices Of Life」として2000年に発表された。
2007年、エディー・ジョブソンを中心として、元キング・クリムゾンのトレイ・ガン、テリー・ボジオとユニットを組んだ事もあるアラン・ホールズワーススタイルのギタリスト・アレックス・マカセックら5人編成で、 ⇒UKZの結成が発表された。
ファースト・アルバムでは、ブラッフォードやホールズワースの持つジャズ・ロック的要素、ジョン・ウェットンの持つハードロック的要素、シンセサイザーやエレクトリック・ヴァイオリンを用いたエディ・ジョブソンのインストゥルメンタル的要素が互いに絡み合い、ジャズとロックの要素がほぼ均等に導入された楽曲とアレンジを聴く事が出来るが、ジョブソン色の強いA面とホールズワース色の強い旧B面で違和感があり、散漫な物となっている。録音も良くないためこのアルバムは賛否両論である。
セカンド・アルバムではブラッフォードやホールズワースがいないせいもあってか、インプロビゼーションの要素は後退し、ウェットンが当初考えていたような、ELPを発展させたような音楽を作り上げている。新加入のテリー・ボジオの超絶技巧的なドラミングなども聴きどころとなっている。
キース・エマーソン的なオルガンなどの伝統的要素を活かしつつも、シーケンサーやモダンなハーモニーを積極的に取り入れて同時代的な個性を築いたが、この時期の音楽シーンはパンクやニュー・ウェイヴといったジャンルが主流であり、1960年代-1970年代のプログレッシブ・ロック的な雰囲気を多く残し、演奏技術を前面に押し出す作風は時代遅れのものとして映った。