Uボート(ウーボート)は、ドイツ海軍の潜水艦を指す。ドイツ語で潜水艦を Unterseeboot (ウンターゼーボート)と呼び、短縮形が U-Boot である。日本では英語読みのユーボート(U-boat) が一般に知られている。
目次
1 戦役
1.1 第一次世界大戦
1.2 第二次世界大戦
2 種類
2.1 第一次世界大戦
2.2 第二次世界大戦
2.3 第二次世界大戦後
3 現存する沈没艦
3.1 発見の経緯
4 文献
5 脚注
6 関連項目
7 Uボートを題材にした映画
8 外部リンク
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第一次、第二次の両世界大戦におけるUボートの主目的は通商破壊戦であり、主な標的となったのはイギリスと植民地とを往来する商船であった。第一次世界大戦にアメリカが参戦した後は標的にアメリカからヨーロッパへの物資・兵員を積んだ商船が追加され、第二次世界大戦においては援ソ船団も加わっている。
1915年5月、ドイツのU20が、戦時禁制品の火薬類運送中の英国船籍の豪華客船ルシタニア号を無警告で撃沈した。1,198人が死亡し、内123人は、アメリカ市民であった。その中には有名な舞台演出家や名士であるヴァンダービルト家の一人も含まれていた。この出来事が、アメリカ世論を反ドイツへと揺り動かし、連合国側に立って戦争に参戦する重要な要因となった。1917年1月31日、ドイツがUボートによる臨検なしの無警告攻撃を宣言すると、アメリカは連合国側に立って参戦した。
第二次世界大戦においては、終戦に至るまでUボートは大西洋の戦いの主役であった。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と述べた。また、ドイツ潜水艦隊司令カール・デーニッツは「300隻のUボートがあれば、イギリスとの戦いに勝てる」と宣言していた。Uボートは東は東南アジア、西はパナマ運河まで配備され、当時の連合国商船にとって安全な海などは一つも存在しなかった。
第二次大戦の開戦直後は、Uボートは57隻が配備されているだけだった。レーダーが退役したのちは、増産に拍車がかけられ、航洋型潜水艦のみに限っても最終的に1,162隻が建造された。緒戦ではUボート部隊は大西洋で通商破壊とよばれる後方兵站(シーレーン)の破壊に投入され、連合軍商船隊に対し大きな被害を与えている他、アメリカ本土へスパイを送り込んだり、機雷封鎖作戦にも投入された。作戦に投入されたUボートには様々な種類があり、初期の丸木舟と呼ばれたII型から大西洋を中心に各方面で活躍したVII型、さらに大型化したIX型、水中能力を高め大戦後の潜水艦設計の基礎となったXXI型、沿岸作戦用のXXIII型などがあった。
一部のUボートは、日本軍占領下のマレー半島のペナンなどを基地としてインド洋で英連邦諸国の商船に対して通商破壊戦を行っていた。ヒトラーは、同通商破壊戦を強化するために同盟国の日本に協力を呼びかけ、日本がUボートを手本として同様の潜水艦を量産することを期待して日本へ2隻のIX型Uボートを贈与した。1隻が日本に入港して呂号第五〇〇潜水艦として連合艦隊に編入されたが、日本でUボートのような潜水艦が量産されることはなかった。また、日本は伊号潜水艦を5次に渉ってドイツに派遣、ドイツの必要とする工業原材料、日本の必要とする新兵器技術を交換した(遣独潜水艦作戦)。参加した5隻の内、無事日本~ドイツ間を完全往復できたのはわずか1隻だった。
開戦以来、対潜戦闘に不慣れな英国は膨大な損害を蒙ったが、1942年に入ると、連合軍はUボートに対して
諜報戦の徹底( ドイツ海軍のエニグマ暗号文の解読やフランス・大西洋沿岸の潜水艦基地に潜入したスパイやレジスタンスからの出航情報)
ソナーや逆探知、航空機搭載レーダーによる電子戦
護衛艦隊による護送船団方式
航空機や対潜専門の部隊による対潜哨戒
対潜水艦用爆雷の改良