U-2撃墜事件
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余波

フルシチョフが事件に関する謝罪を要求したので、パリ・サミットは崩壊し、フルシチョフは5月16日に会談を一方的に打ち切った。

この事件以後、アメリカのミサイル技術も格段と向上し、ミサイルギャップも影を潜めたためU-2によるソ連領内の高高度偵察飛行が行われることは無くなったが、アメリカと対立する国々へのU-2による高高度偵察飛行はキューバ危機の際、再びU-2が対空ミサイルで撃墜されるまで頻繁に続けられた他、中華人民共和国北朝鮮に対するスパイ飛行が行われた。中華人民共和国に対してのスパイ飛行はアメリカより中華民国空軍に供与された機体で行われていた。アメリカや中華民国側はこの件に関して当然のことながら沈黙を保ったが、中華人民共和国側はソ連より供与されたSA-2により数機を撃墜し、残骸を北京に並べて公開している。

この事件が起こる前年にも、アメリカ軍の厚木基地所属のU-2がエンジントラブルで藤沢市の民間飛行場に緊急着陸するという事件が起きた。事件当日は飛行場でグライダー大会が行われており、多数の親子連れがU-2を目撃する事態となってしまった。U-2撃墜事件が起こる前の当時、同機は完全に秘密扱いされていたので、厚木からアメリカ軍がU-2を回収しにやって来るまでにU-2を目撃した民間人は、日本領土内に住む日本人であるにも拘らず、アメリカ軍の守秘義務誓約書に無理やりサインさせられた。 日本人が偶然にも日本国内でアメリカ軍の機密を知ってしまった場合にはアメリカとの二国間条約に基づいて制定された日本国の法律によって機密保持義務を課すことが出来たのである。 なお、このアメリカ軍の守秘義務誓約に違反した場合には刑事特別法の機密等侵害罪により日本で刑事罰の対象となる。 ただし、実際に起訴されて有罪判決を受けた事例は無い。


関連項目

U-2

ゲーリー・パワーズ

ルドルフ・アベル

フレッチャー・プラウティ

・話・編・歴冷戦
参加: 西側諸国 - 東側諸国( - 非同盟諸国
1940年代
冷戦の始まり45年ヤルタ会談 - ポツダム会談 - 国共内戦 - ギリシャ内戦 - トルーマン・ドクトリン - マーシャル・プラン - ベルリン封鎖

1950年代
波及と雪解け

54年マッカーシズム - 朝鮮戦争 - 第一次インドシナ戦争 - PBSUCCESS作戦
55年スターリン批判 - ハンガリー動乱 - 第二次中東戦争 - スプートニク・ショック - 金門砲戦 - キューバ革命

1960年代
対立の激化〜64年コンゴ動乱 - ベトナム戦争 - U-2撃墜事件 - ピッグス湾事件 - ベルリンの壁 - キューバ危機
65年9月30日事件 - プラハの春 - デタント - 文化大革命 - 中ソ国境紛争

1970年代
デタント

74年NPT - カンボジア内戦 - 林彪事件 - ニクソン訪中 - SALTI - 東西ドイツ基本条約 - チリ・クーデター - 第四次中東戦争
75年CSCE設立 - アンゴラ内戦 - オガデン戦争 - 中越戦争 - イラン革命 - サンディニスタ革命 - SALTII

1980年代
1990年代
再激化と終結〜84年アフガニスタン侵攻 - ニカラグア内戦 - 戦略防衛構想 - 大韓航空機撃墜事件 - グレナダ侵攻


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki