特にトイレ、洗面器などの衛生陶器では約6割のシェアがありトップ。2位のINAXとあわせると国内シェアの9割程度を押さえる。ユニットバスもTOTOが最初に発売した。
技術面では、ウォシュレットのほかにも、便器の汚れを効果的に落とす「トルネード洗浄」、防汚技術の「セフィオンテクト」、お湯がさめにくい「魔法びん浴槽」など意欲的に取り組み、各賞受賞商品も数多い。
バリアフリーやユニバーサルデザインについての意識は国内企業でもトップクラスであり、様々な商品を投入するとともに、ウェブサイト上でも広く展開をしている。また、障害者雇用のために、北九州市などと共同で第三セクターの子会社(特例子会社)、サンアクアトートーを設立して、社会進出の手助けも行っている。
リモデル事業にも取り組み、この分野では大建工業、YKK APの両社と提携しており、3社共同のショールームもある。INAXがトステムと経営統合して住生活グループとなったことに対抗したものである。
主な市場は日本。そして米国、中国。日本は官製不況(2007年後期の建築基準法改正に端を発した、住宅・マンションの着工件数の激減と、年金記録問題により老後への不安が増加したことによるリフォーム件数の減少)により販売状況が思わしくないことから、アジア、欧州への販売を強化している[1]。
主な動き
アジア - 2007年4月、シンガポールにTOTO Asia Oceania Pte.Ltd.を設立[1]
欧州 - 2008年4月、TOTO Europe GmbHを設立。設立にあわせ、PagetteへM&Aを実施[2]。
日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)の製陶研究所が母体となり、1917年に東洋陶器株式会社として設立され、森村財閥の一角を担った。豊富な石炭を産出する筑豊炭田に近いなど原料の調達に有利な福岡県企救郡(現:北九州市)に本拠地を置き、現在に至る。初めて水洗便器の本格的国産化を実現したのも同社である。なお、創業から1950年代までは食器も製造していた。
1904年の日本陶器合名会社の創立に際しては、森村市左衛門とその義弟である大倉孫兵衛、孫兵衛の長男の長男・和親らが出資者となり、大倉和親が初代代表社員となった。大倉和親はこの前年の1903年に製陶技術の視察のために渡欧しており、この時に衛生陶器(浴槽、洗面台、便器など)の知識を得て製造に関心を持ったとされる。洋風建築の増加にともなって衛生陶器の需要が増えたことから、1911年に東京高等工業学校(現・東京工業大学)教授の平野耕輔が渡欧する際、ヨーロッパにおける衛生陶器の実情調査を依頼している。この結果などを受けて翌年1月に大倉孫兵衛・和親の私財10万円(20万円との説も)によって日本陶器社内に製陶研究所が設立され、衛生陶器製造の研究が始まった。
硬質陶器質の衛生陶器を生産するため、1913年から1916年にかけて手洗器・洗面器類が6,541個、水洗式の大便器が1,432個、同じく小便器が1,249個も試作された。試販の結果が好評だったことを受けて大倉和親は事業化を決定し、福岡県企救郡板櫃村(後の小倉市、現・北九州市)に約17万平方メートルの土地を購入して工場を建設した。この地を選んだのは
当時、日本一の石炭生産量を誇った筑豊炭田に近く、隣接する河川を利用して燃料の調達が可能。
朝鮮半島の良質なカオリンや九州の天草陶石など、原料の産地が近い。
鹿児島本線と日豊本線の分岐に位置し、1899年に開港した門司港も近く、商品の配送に好都合。
など主に運送面での利点が大きかったためとされる。
衛生陶器の製造を行なう新会社・東洋陶器株式会社の設立に先立って、1916年5月1日に日本陶器の小倉工場という名目で工場の建設が始まった。当初より新会社の工場となる予定であり、翌年1月1日に定礎式が行なわれている。森村家、大倉家など森村組の関係者が出資して東洋陶器は1917年5月15日に設立された。筆頭株主の大倉和親が初代の取締役社長となり、実務的な運営を行なう支配人には百木三郎(後に2代目社長に就任)が選任されている。市場の小さな衛生陶器だけでは経営が困難なため、会社発足時の定款では事業目的は「陶磁器の製造・販売」とし、当面は食器などの製造も行なうこととした。
会社設立時の資本金は100万円、従業員数は約50名であった。従業員は日本陶器や森村組から転入した月給ないし日給制の社員と、それ以外の職工に分けられていた。衛生陶器はロクロや泥漿鋳込法を用いて製造され、これにともなって日本陶器の製陶研究所は解散した。衛生陶器の知名度自体が低かったため、市場の拡大を目指して高所得者や旅館などのユーザー向けに衛生陶器を解説する冊子も制作している。また、日本陶器から技術指導や素材供給などの協力を得て磁器製の食器も作られた。こちらは第一次世界大戦によるヨーロッパの生産能力低下などから海外での需要が大きく、コーヒーカップ・ソーサーなどがアメリカやイギリスに輸出された。