会社設立時の資本金は100万円、従業員数は約50名であった。従業員は日本陶器や森村組から転入した月給ないし日給制の社員と、それ以外の職工に分けられていた。衛生陶器はロクロや泥漿鋳込法を用いて製造され、これにともなって日本陶器の製陶研究所は解散した。衛生陶器の知名度自体が低かったため、市場の拡大を目指して高所得者や旅館などのユーザー向けに衛生陶器を解説する冊子も制作している。また、日本陶器から技術指導や素材供給などの協力を得て磁器製の食器も作られた。こちらは第一次世界大戦によるヨーロッパの生産能力低下などから海外での需要が大きく、コーヒーカップ・ソーサーなどがアメリカやイギリスに輸出された。輸出は当初森村商事を通じて行なわれ、1922年からは東洋陶器が直販するようになった。また、国内販売は日陶商会(後のノリタケ、現・ノリタケテーブルウェア)が担当した。
ヨーロッパの戦後復興の需要増に対応するため1919年には早くも工場が増築されたが、翌年3月の株式市場の暴落を契機とする恐慌によりアメリカでは国内産業保護のための関税引き上げが検討された。これに対処するため森村財閥では日本陶器がアメリカ市場を一手に担当する事を決め、東洋陶器は工場の拡張を一部中止するとともに従業員の10%を解雇している。また、新たな海外の販路を開拓するために低廉[硬質陶器製食器を開発し、これは東南アジアなどに出荷され主力商品として育っていった。前年に決算が黒字に転換したことを受け、累積赤字を処理するため1923年4月には資本金の75%が減資されている。
1923年9月の関東大震災では東京出張所が焼けたが、住宅の復興にあわせて衛生陶器や食器の需要が発生し、丸ビルへの衛生陶器の納入などによって売上が増加した。その後も建築資材の価格低落で耐震・耐火性の鉄骨コンクリート構造の大型ビルの建設が続き、また東京市で下水道の普及が進んだことから衛生陶器の需要は伸びつづけた。東洋陶器はこの時期に皇居や那須御用邸、官庁、ホテルなど様々な顧客に衛生陶器を販売している。
食器事業では1926年に硬質磁器製の和食器を製造することに成功するなど、国内市場の売上を拡大していった。また森村財閥内の日東陶器商会の直売店であった十一屋商店、稲田商店、精陶商会(それぞれ東京、大阪、小倉)の3店と1924年に新たに契約を交わし、東洋陶器の食器を専門に扱う販売店としている。海外では1926年に、ジャワ島のスマランに日本陶器との合弁で匿名組合日東洋行を設立し現地の販売代理店としたが、3年後に業績不振で閉鎖した。
1962年、商品部門の集約のため、それまで商品ごとに分別されていたロゴを、食器用に使われていた「Toyotoki」ロゴに統一。
1969年よりTOTOロゴの使用を開始、追って1970年に東陶機器株式会社へ商号を変更した。
1980年代に発売を開始したシャワー式トイレ「ウォシュレット」は大ヒット商品となり、コピーライターに仲畑貴志を起用したテレビコマーシャルでのキャッチコピー「お尻だって洗ってほしい」は流行語になった。
2007年5月15日に創立90周年を迎え、TOTO株式会社に商号を変更した。
近年、広汎な事業分野において競合するINAXは、TOTOの創業者である大倉和親によって森村財閥のタイル部門会社として1924年に設立された(当時伊奈製陶。1985年に現社名に変更)。この森村の同門企業としての両社の関係は長らく「競合的共存」とも言われ、INAXがトステムと経営統合する2001年まで続いた。
主な商品TOTOウォシュレット
トイレ
ウォシュレット一体型便器
洗面所・手洗器
浴室
キッチン
水栓金具
アクセサリー
給湯器
その他設備商品
建材
詳細はTOTOの商品を参照
その他
ショールームは全国に107箇所(2007年6月末現在、今後120箇所まで増やす予定)ある。出版部門も持っており、建築関連の書籍を多数発行する(INAXも同様の事業を行っている)。東京・青山にはギャラリー・間、東京・大阪・福岡にはTOTOテクニカルセンターがある(予約制)。
中部国際空港(INAXの本社の目の前)内の一部のトイレはTOTO製である。
アメリカのロックバンド、TOTOは、オズの魔法使いに出る犬の名前から取った。日本中に溢れるTOTOのロゴを見てバンド名としたという説もあるが、これは来日の際に、彼らのジョークが真に受けられたものである。
スポーツ支援も盛んで、顧問に王貞治を迎えたり、スーパー陸上などのイベントに協賛した。
2003年、フジテレビのバラエティ番組ワンナイR&Rで、通販大手企業、ジャパネットたかたの会社の名前をパロディ化した「ジャパネットはかた」という九州を侮辱する内容のコーナーが存在した。