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パフィー(2006年)
パフィー(PUFFY)は、大貫亜美、吉村由美の2人から成る日本の女性歌手コンビである。「パフィー声」 と称される、ふたりの声が渾然一体となった独特のユニゾン唱法を用いるのが特徴で、CD上でのハーモニーは、実際にはその多くで2人がユニゾンで歌うハーモニー・パートを多重録音しており、2人がそれぞれ違うパートを歌うデュオとは異なる。その理由は、それぞれが違うパートで歌うテクニック(実力)がない為とも言われ、2人をプロデュースした奥田民生自身も「こんなものが売れるはずない」と思っていた。ソニー・ミュージックアーティスツ,Ki/oon Records所属。2002年からは北米ツアーを行い、アメリカ合衆国やカナダにおいては"Puffy AmiYumi"(パフィー・アミユミ)名義で活動している。
目次
1 来歴
1.1 デビュー前夜
1.2 デビュー直後
1.3 全盛期
1.4 北米大陸へ
2 作品
2.1 シングル
2.1.1 コラボシングル
2.2 アルバム
2.3 ベストアルバム
2.4 リミックスアルバム
3 日本国内での出演
3.1 現在放送中の出演番組
3.2 過去の出演番組
3.3 コンサート
4 外部リンク
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東京都出身の大貫は、高校在学中に男子生徒と結成したロック・バンド、ハノイ・セックスでカバーしたハノイ・ロックスの曲のデモテープを、「落選通知を受け取るために」 ソニーのオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、応募動機からわかるように気軽なアマチュアバンドであったハノイ・セックスは、進学準備のため解散してしまった。
大貫もまた、志望職種であったスチュワーデスに必要な英語学習のため進学を決めたが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、神田外語学院に通うかたわらソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属して歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューへの準備を進めていた。
大阪府出身の吉村は当時いわゆるヤンキーで、高校を中退して鉄筋工等のアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていた。特に音楽等の文化活動は行っていなかったが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって、ソニー主催「ちょっとそこまでオーディション」 に応募させられ、大貫同様、意外にも合格した。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に「歌手」と答えた吉村は、SMA所属のアーティストとして大阪から上京することになった。
SMAの事務所で初めて対面した大貫と吉村は、互いに魅力を感じたが、双方の内気な性格から当初は打ち解けなかった。わずかに年長の大貫に吉村が敬語で対応する様な関係がしばらく続いた。しかし、歌手として抜きん出た能力を持てぬままデビューを待つという同じ境遇にあったふたりは、その不安の解消先を互いの友情に求めるようになり、吉村が大貫の実家に出入りするまでに親密な関係となった。
さらに音楽活動においても、コンビとして行うことで困難に対処できると考えるようになったふたりは事務所にそれを提案し、すでに大貫のソロ音源(後に吉村のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『solosolo』 として発表された) が録音されていたにも関わらず、特に議論されることなく容れられた。同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュースに関心を示していたことから、ふたりは彼に託されることになった。
その頃、米国のロックバンド、ジェリーフィッシュが来日公演を行っていた。そのドラムスを担当し、優れた作曲家でもあるアンディ・スターマーは、才能を認め合う関係である奥田を通じてSMAと関係があった。バーで大貫と吉村のマネージャーからグループ名の案を求められたスターマーは、"The Puffy" を提案し、これが採られた(後にTheは削られた)
パフィーとなった大貫と吉村は、ラジオ番組を持つ、真心ブラザーズ『サマーヌード』 のミュージック・ビデオに客演する(この時はトレードマークのジーンズではなく、スカート姿だった) 奥田の下でアルバム制作を進める、等を行っていたが、1996年5月、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』 でメジャーデビューした。
ELOに影響された、きらめくような曲調と不可解な(ナンセンス、無内容ともいう) 歌詞を持つこの曲は極めて高い音楽性と普遍性、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが「自然体」 「脱力系」等と評された、力みのない、しかし計算されたパフォーマンスで表現した。
これは、当時Jポップシーンを席巻していた小室ファミリーの緊張感や露骨な向上心の対極に位置するものであり、わずかな市場の隙間かと思われたそのニッチは実はかなり大きなものであったことが、“小室系”に馴染めない、あるいは飽き足らないユーザーによる支持が生んだ『アジアの純真』 のミリオン・ヒットという形で示された。
勢いに乗ったパフィーは『アジアの純真』 を収録したアルバム『amiyumi』 2ndシングル『これが私の生きる道』 と相次いで奥田による質の高い作品を発表し、その年の音楽新人賞を総なめにした。