PBSUCCESS作戦とは、 アメリカ合衆国、及びCIAが行ったグアテマラのハコボ・アルベンス・グスマン政権転覆作戦であり、これは後のグアテマラ内戦に繋がった。
独裁者ホルヘ・ウビコの専制政治は1944年に終わり、その後のグアテマラはアレバロ政権の下で他の中米諸国にはない進歩的な雰囲気が漂っていた。元グアテマラ軍の大佐だったハコボ・アルベンス・グスマンは進歩的な軍人、国防大臣としてこの改革を横から支えていた。
1951年にアレバロの後を継いで大統領に就任したアルベンスは、グアテマラ共和国において前任者が行っていたポプリスモ的な政策をさらに進め、封建的大地主による大土地所有を廃するための農地改革や識字運動、および虐げられていたマヤ系インディオの権利回復運動などの活動を行っていた。こうした政策は「グアテマラ革命」と呼ばれるほど急進的なもので、ホルヘ・ウビコの独裁の下で長年虐げられていたグアテマラ国民の心を掴み、1953年アルベンスは任期中初の国会選挙で圧勝した。
しかし、当時の朝鮮戦争や冷戦という世界情勢から、米国は全世界の、特に大韓民国やインドシナ半島や中米・カリブ海諸国の共産国化を懸念し、脅威と見ていたCIAを中心に政府転覆を画策し、干渉に乗り出した。アルベンス政権はその後、農地改革の一環としてグアテマラ国内にある米国系の企業であったUFCO(ユナイテッド・フルーツ社)の土地接収を発表(1953年2月)し、またグアテマラがチェコスロヴァキアからの兵器を輸入しようとしていたとの事実が明らかになると、この共産圏とは一線を画した「赤風味」に過ぎなかったグアテマラの民主主義政権と、米国との関係は明らかに険悪なものとなり、1954年5月にはついに米国と国交断絶にいたる。
1954年6月25日、反アルベンス派の亡命グアテマラ人で、米国の支援を受けたカスティージョ・アルマスは隣国エル・サルバドルの首都サンサルバドルで「グアテマラ反共臨時政府」樹立を正式発表、米国は直ちにこれを承認し、アルマスは傭兵軍を率いてグアテマラ共和国に侵攻を始めた。アルベンスは応戦の構えを見せたが、既に軍部の高級将校はアルベンスへの支持を失っており、戦意を喪失していた。こうして軍内部の裏切りにより1954年6月27日、アルベンスは大統領を辞任し、亡命した。
その後すぐにアルベンスの行った改革は全て水泡に帰し、再びグアテマラはウビコ時代のような弾圧政治の時代に戻ってしまったが、アルベンスに共感していた軍の青年将校はジャングルに篭ってゲリラ戦を開始し、これは1960年以降のグアテマラ内戦に繋がった。
この事件があった当時グアテマラ市に滞在していたアルゼンチン人の医者、エルネスト・ゲバラはこのアメリカの横暴な振る舞いを見て、共産主義者になる決意を固めたようである。 カテゴリ: グアテマラの歴史 | アメリカ合衆国の歴史 (1945-1989) | 冷戦 | 反共主義 | 工作活動による事件
更新日時:2008年10月1日(水)13:21
取得日時:2008/10/06 23:58